自由帳

Ask perfection of a quite imperfect world.

23/04/2018: 『リズと青い鳥』

私がずっと前から公開を心待ちにしていた映画である、『リズと青い鳥』を観た。紛う事なき傑作である。青春部活モノ、少女同士の関係性、ひいてはアニメ作品、といった本作に嵌められがちな枠を越え、一つの作品として非常に価値の高い映画であったように思う。以下、ネタバレを含む感想を取り留めがないが記す。一点下手な前置きをさせて貰うと、本作に関して何かを語るという行為は、少なくとも私にとっては様々な面で途方もなく難しいことであり(それくらいに本作の正確な評価と受け取り方は困難に思える)、しかしそれでもいま自分の中に渦巻く想いや考えを整理し、文章として残さないことはいずれ必ず後悔をもたらすであろう、という信念に基づいてこの記事を書いている。一回観ただけでは到底語り尽くせるものではなく、本記事に拙い箇所は無数にあるだろう。だが、このどうしようもなく愚かで、退屈で、人間性を削いでくるような現実世界において、本作は一筋の希望の光であり、それに関する文章を認めることは我々に残された数少ない娯楽なのだと思う。さあ、これを読んでいる君も『リズと青い鳥』の感想を書いてみよう。以下、ネタバレ開始。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本作の上映時間は約90分であるが、その間、観客に瞬きすらも許さず、常に耳をそばだてることを要求するような緊迫感が、途切れることなく続いていた。それは『響け!』TV版でしばしば見られたモノローグや説明調の台詞が極力廃され(久美子のモノローグは、それはそれとして好きなのだが)、登場人物の仕草、瞳の煌めき、物体の配置と描き方、他の登場人物の会話とそれからの対比、授業の内容(「互いに素」とか久しぶりに聞いた)、色が染み込んでいくベン図(という認識で良いのだろうか)等及び、それらを支えつつ支配する劇伴を通じて、静謐で、緻密で、触れたら壊れてしまいそうなくらい繊細な画面に渦巻く希美とみぞれの強烈な感情が雄弁に語られており、観客はそれらを一つとして見逃すことを許されていないことによるものだ(今回の作画スタイルは本当に好き、儚いと言うか何と言うか……自分の語彙力の乏しさが恨めしい)。語られる数少ない台詞ですら、その意味を額面通り受け取れるものは少なく、観客は常に緊張の糸を張り、注意深く登場人物の心を探る必要がある。
その中でも特に長い尺を使って執拗に描かれている歩行のシーンに注目したい。個人的には希美のフルートに反射した陽光がみぞれの身体に当たっているシーン(希美の眩いばかりの天真爛漫な振る舞いが、みぞれの心を暖かさと共にかき乱していることの比喩なのだろう。みぞれの表情は、戸惑いつつもそれを己の幸福として受け容れているように私には見えた。みぞれの方が先に反射の現象に気付くことや、二人の物理的な距離が隔たっていることにも意味があるのではないか)が一番好きなのだが。
歩行に関して言うならば、学校とは、歩き続ける場所である(突然何だ)。本作において現実世界の舞台が学校の外に展開することはなく、鳥籠のような、外界からは隔絶された世界の中で刻一刻と変化していく学生達の内面を描いている。当然、希美とみぞれの歩行は、学校の中やその周辺でのみ描かれている。「学校とは歩き続ける場所」、というのは、コンクールや定期テスト、更にその先の将来、その通過点としての受験、といったように常に目標がある場所であり、またその目標を多くの人間が共有して目指している場所、毎年上級生はいなくなり、下級生が入ってくる場所であって、従い常にある方向に向かい進歩することが求められる、そういう意味で「歩き続ける場所」であると思う。しかし、学校において大まかな目標は他者と一緒だとしても、そこに向かう速度、歩幅、ルート、立ち止まるタイミング等は、実は人それぞれである。また、同じ目標に向かって進んでいたとしても、歩調が一致する(=同じことを考えている)とは限らない。それでも、同じ場所にいる彼彼女らは、共に歩まなければならない。冒頭、(体感時間として)5分以上をかけて描いた登校のシーンでは、みぞれは希美にピタリとついていき、二人の歩調は一致していたが、劇伴には若干のズレがあった記憶がある(間違っていたらゴメンナサイ)。言うまでもなく、表層的には同じ方向を見て、同じことを考え、思っているように見える二人が、その実お互いのことを理解できていないことの表れである。ここで彼女らは学校に入っていく。少し脇に逸れるが、「お互いのことを理解していない」に関連して、本作の中で、希美に対して「ここでそれ言う!?(一般的な会話としては極めて常識的)」とか「なんでそこであれ言わないんだよ!(TV版の通り、別に言う「必要」はない)」思った場面は枚挙に暇がなかったということを付け加えておきたい。みぞれの理解不足が、基本的には希美の嫉妬を知らないことや(みぞれにとって希美は自分の全てであり、かつその外側さえも持ち合わせている人間なのだからそうなるのも仕方ない。みぞれは希美が音大に行けるということを疑いもしなかった)、自己に対する気付きの不足(主に、自分も飛び立つ存在であるということ)に留まるのに対し、希美は重症ではなかろうか……ただそういうところもみぞれにとってはある種の魅力に映るのだろうから難しい。
さて、他にも歩行のシーンはあったが、印象的な場面を取り上げる。衝撃が強いのは図書館で二人が別の本を借りたシーンの後。二人はお互い鋭く制服のスカートを翻し、別々の方向へ、緊迫感が殊更強調された劇伴と共に早々と歩を進めていく。みぞれは音大へ、希美は一般大学へ、二人の目標が初めて分かれてしまった瞬間である。ここで二人はまだ学校の中にいる。しかし、ラストシーン。二人は校門で待ち合わせ、劇中としては初めて学校を出て行くが、そのときの二人の歩幅は(確か)一致していないし、帰りに食べたいものの案も取り留めがない(それは別にどうでもいいことなのかな……わからん)。しかし、劇伴は飽くまで穏やかで、二人を包み込むような曲であり、何より最後に「ハッピーアイスクリーム!」の一致を見る。ここにおいて、二人は他者の定めた目標から離れてそれぞれの道を歩み始める、勿論考えていることも違う、だがお互いをようやく理解し、心は共にある、という境地に至ったのだと感じた。希美の言う通り、物語は爽やかなハッピーエンドとして続いていく(「閉じた」のではないところがミソだと思う)、と私は信じている。
「閉じたのではない」の意味するところは、パンフレットにも書かれているが、本作は「途中から始まり、途中で終わる」物語であるということだ。恐らくこれは、人間の変化、感情のリアリティを追求した結果であると考える。人間の変化は、実はオーディションやコンクール、言い争いの瞬間や別れの刻と言った、(他者から見ても)節目となるような出来事で決定的になるものではないのではないか?感情が真に揺れ動くのは出来事があった後の、何気ない瞬間なのではないか?というのが本作の問いかけである。アニメに限らず多くの創作物の定石として、印象的な出来事を以て人間の変化や感情の機微を描き、その核となる出来事、『響け!』TV版で言うのであればコンクールを以て物語を閉じる、という筋立てがある。しかし、我々の人生は、コンクールの後も続いていくし、コンクールの前後にこそ自己の変化や感情の昂ぶりがある、というのが実態ではないだろうか(私はコンクールなんて出たことないが)。本作で最も大きな出来事である第三楽章のシーンですら、奏でられる音楽が全てを語り、登場人物はその場では多くを語らない(話は逸れるが、それまで極めて抑制的に進めてきた物語が、第三楽章で昇華され、二人の関係性が決定的に転回する構成は極めて見事だと言わざるを得ない)し、ハグのシーンでも希美は「軽蔑されるような存在」(この台詞結構好き)、「みぞれのオーボエが好き」と返すに留まった(あそこでもっと感情大爆発レズ祭りワッショイになってたらまた違った映画になっていたのかも知れない。寧ろ『響け!』TV版ではそういう手法が取られていた記憶があるが、敢えてTV版とは一線を画したということだろう)。
構成の妙という点においては、劇中劇を「ミスリード」に使ったというのが巧みである(誇ることではないが、希美が冒頭からして劇中劇に関して「私たちみたいだね」と述べていたことから、どこかで逆転はあるのだろうなという予感はあった。リズと、青い鳥の声優は一人二役だし)。ここもまた関係性におけるリアリティを追求した結果、というより「関係性」という概念に関して、制作側が出した問いであり答えなのだと思う。人間同士の関係性が、果たして典型的な物語で描かれるような、固着したもの、類型的なもの、一方的なものであるのだろうか?という問いだ。皮肉めいた言い方をすれば、私個人としての自戒も含め、(アニメに限らず)我々は創作物における人間関係を、類型的に「処理」し、「摂取」している嫌いがあるように感じている。だが創作物における登場人物は一つの人格であり、単独でも複雑なそれが、他者と絡み合うことで深く豊かな世界を作る、そういう作品を目指していこうというメッセージのように私は感じた。何も希美とみぞれの関係性は、少女同士のそれに局限されたものではないし、少女同士だとしても、ピタリと嵌まる類型はないと私は考えている。
本作は、それが主目的ではないにしても、これまで述べた「伝わりやすい構成」「出来事」「関係性の捉え方」、というそれぞれの面について、既存のアニメに静かに反旗を翻す、挑戦的な作品であったと理解している。勿論、これに類する作品は数多くあろうが、ここまで徹底しているものを私は知らない。冒頭で「青春部活モノ、少女同士の関係性、ひいてはアニメ作品、といった本作に嵌められがちな枠を越え、一つの作品として非常に価値の高い」と本作を評したのにはそういう理由だ。しかし、それと同時にこの姿勢はアニメ作品一般としての本質を浮き彫りにしているとも思う。登場人物の表情含め、描く物全てに意味を持たせ、出来事の前後にもフォーカスし、人格同士の関係性に執着した物語の作り方が出来るフォーマットは、今現在においてアニメーションだけなのではないか。そういう意味で、本作は次代のアニメーションの手本とも言える作品だ。

長くなったが最後に一言。やっぱり何だかんだ言ってTV版からそうだけど、俺にとっては夏紀先輩が最高だわ……元々台詞が多い役ではないのに、「君はあすか先輩じゃないんだよ~?」や「近くに居るからって、何でもかんでもみんな話す訳じゃないもんね」のような、本当に彼女らしい、慈愛と諦念が絶妙なバランスで混じり合った台詞が心に響く。本作の作画のために、一層クールかつ繊細な印象を与えるようになったばかりでなく、主役の二人以外で一番重要な役割を果たした夏紀先輩に本作のMVPを贈りたい。

(参考)本作のロングPVの出来が素晴らしかったのでリンクを貼っておく。
https://www.youtube.com/watch?v=lQxwNaoFdQQ