自由帳

Ask perfection of a quite imperfect world.

27/02/2022: シャニマス短歌2月号 - 浅倉透と樋口円香

シャニマスに関する諸々を見たりやったりしているとよく話題になるこの二人、浅倉透と樋口円香。ご多分に漏れず私もこの二人のこと、そして二人の関係が好きなので、彼女らに的を絞って一連の短歌を作ってみたいと以前から思っていた。

という訳で作ったのが今回の四首。歌会に提出してはおらず、したがってこれらに関して他の方々とお話しする機会もなかったので、以下に背景等を含め記す。ただそれとは別に、最近は自分の考えていることを、たとえただの趣味の領域であったとしても言語化していかないと頭が衰えていくような気分が本当にあって、こういう文章でもいいのでできるだけ習慣化していきたいと思っている*1。どこかで「考えることの多くは、適切な言葉を探すことだ」という警句を目にし、確かにそうだなと思った記憶はある。言葉にするとはすなわち考えることである。

 

  1. さいはての塩湖に続く君の瞳がいつか聖書にされる ことわり / 樋口円香 浅倉透
  2. そのあとはカラーバーをただ眺めてた 真実以外逃げ出した部屋で / 浅倉透 樋口円香
  3. もし僕ら違う掟で生きるなら青い表紙の詩集は燃やす / 樋口円香 浅倉透
  4. 人生があす途切れてもいいように灰を撒く海を決めておいて / 浅倉透 樋口円香

 

この手のルールは人によりけりだと思うが、付記に関しては基本的に最初に来ている名前の人物が作中の行為及び感情の主体であり、次に来る人物がその対象と読んで頂きたい。それでは以下解題。

 

<1>

さいはての塩湖に続く君の瞳がいつか聖書にされる ことわり / 樋口円香 浅倉透

 

「あなたの中で、浅倉透と樋口円香はどういう関係にありますか?」と問われたとき、少なくとも現時点での私の答えはこれになると思う。

着想としては「sSSR【UNTITLED】樋口円香」のカードコミュがある。以下同コミュの内容は既読であると前提して進める。

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【UNTITLED】樋口円香のイラスト。吐く息も白い寒い日に、虚ろにも見える目で浅倉を見やっている樋口はなにを思っているか。その横で浅倉透は目を瞑っている。

 

浅倉はこのコミュの中で、多くの人間にとって特別な存在として描かれている。それは彼女の外見のみによるものではなく、出で立ち、雰囲気、発言も含め、雑に言ってしまえば「オーラ」とも言えるなにかが、彼女をそうした存在たらしめていることが読み取れる。これは樋口の視点では、浅倉と知り合って間もない人間に限らず、幼馴染でユニットメンバーである福丸小糸や、市川雛菜にとっても同様であるという。しかし樋口は、その誰とも異なり、自分だけが浅倉透という人間を理解していると、心の中で語る。ここからは推測になるが、浅倉を普通の人間だと思うこと、またそうだと言い続けることができるように彼女と比肩する存在であり続けることが、樋口のアイデンティティーの大きな部分を構成しているのだと思う。ただそれは、樋口からの一方的な執着ではなく、「pSSR【途方もない午後】浅倉透」でも描かれているように、自己認識についての自他のギャップに違和感を抱いている浅倉自身の求めと、樋口と共にあることの代えがたい心地よさもその関係を成立させている要素である。敢えて大袈裟な言葉を使うとすれば、二人は「共犯関係」にあるとも言える。思うまま、自由に振舞っても特別な存在としての孤独を感じることはなく、すべてを理解してもらえる心地よい関係を維持できる浅倉と、特別に見えて特別ではない彼女を理解することで、揺るぎない特別さを手中にし、それを自身のアイデンティティーとする樋口。あまり健全とは言えない二人の閉じた関係を衝き、揺るがしていくのがそれこそノクチルとしての活動なのだが、それはまた別の話。

さて、前置きが長くなったが、樋口が浅倉に関して抱いている、彼女の理解者としての自負と、その浅倉が人々に都合よく理解されてしまうことへの諦観を表現したかったというのが基本的な歌意である。聡明な樋口はそうした現実を、本当はそうであってほしくないと思いつつも、止めるでも拒むでもなく、浅倉の才と人々の愚かさを理解しつつ半ば諦めをもって「ことわり」としてなんとか消化しようとしている(「断り」のダブルミーニングで、彼女のささやかな心理的抵抗も含意している)。「聖書」の比喩は、最初は一人の男の言行を書き留めたに過ぎなかった文書が、数多の読み手の主観によって誇張され、何度も修正を加えられながら写本となり、本当の出来事ではないはずなのに世の中に数えきれないバージョンが溢れかえって、遂には世界のベストセラー、つまりある種の偶像や権威と化してしまっている現実を、浅倉透という人間の受け止められ方になぞらえたもの。「塩湖」については浅倉の心の在り方、つまり表向き美しくて穏やか*2だが、その中に広い世界があるといった意味合いを含めつつ*3、聖書と関連する言葉ということで死海をイメージさせたかった*4。比喩の接続は、この歌の全体的な硬質さを考慮して「のような」や「みたいな」ではなく「に続く」とすることで、表現としての凡庸さを回避するだけではなく、樋口から見た浅倉の瞳の色、そして心の奥深さとそれでも残る隔たりを表現できたらいいなと思っていた。

 

冒頭のイラストの樋口の虚ろな目は、そういう未来を悟ったがゆえのものだと思うと、楽しくなってきませんか?

 

<2>

そのあとはカラーバーをただ眺めてた 真実以外逃げ出した部屋で / 浅倉透 樋口円香

 

カラーバーとはこれである。放送を終了したテレビ局が、深夜に機器調整のために流す映像のこと。

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「ポーーーッ」って鳴るやつ。子供のころ怖くなかったですか?


この歌の情景としては、浅倉と樋口の二人が、浅倉の部屋で借りてきた映画を観たあとの真夜中の時間を描いている。映画が終わってから、地上波放送へテレビの入力を戻しても、彼女らにとってはくだらない、世の中の些事を取り上げるテレビ放送は既に終了し、無機質な色と音声だけが流れている状況で、映画の世界にある「真実」が、二人しかいない部屋の曖昧な時間の中でそのまま続いているさまを切り取りたかった。

多くの人が語っているように、ノクチル、特に浅倉と樋口の関係には常に終わりの概念が付き纏う*5。映画のような美しい時間、つまりノクチルとしての活動、ひいては幼馴染として過ごす時間が終わり、現実に放り出された後、彼女らはどうするのか、という問いは少なくともまだゲームの中では保留された問題になっており、その曖昧さと映画の余韻には重なる部分があると私は感じている。浅倉はWINGのシナリオの中で、ノクチルとしての活動に出会う前、「人生が長すぎる」とこぼしている。取り立てて目標も夢もあるわけではなく、自身の向上も感じられないでいたであろう彼女の人生*6がWINGを契機として変わり始めたのは事実だが、その、ノクチルとしての活動の終わりを経ても彼女の人生は続く。

「そのあとは」という言い方には、断言せずに事後の可能性も示唆する意図もあった。下世話な話だが、彼女らの行為には「真実以外」を徹底的に拒み、むしろそういう非本質的な概念たちが自ら逃げ出すほどの、気高さ、そして緊張感が漂っている気がしてならない。そして、行為に及んだその瞬間、彼女らの現在の関係は終わってしまうのかもしれない。

ちなみに、「カラーバー」のあとの「を」は、字余りを招いてしまうものの*7「カラーバーただ」だと、滑らかではあるが口に出したときに少々ダラっとしてしまう印象が個人的にあり、語調を引き締めたかったのと、本来注目されない無内容なカラーバーが二人の中では目線の対象であることを示し、作中の焦点を寄せたいという気持ちもあった。

あと、推敲を手伝ってくださった方から「pSR【おかえり、ギター】浅倉透」のイラストの雰囲気にも似ているという指摘を頂き、確かにそうだなと思ったのでイラストを貼っておく。めちゃくちゃいいですよねこのイラスト。

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樋口がこれ見たら「……ふーん」って言いそう。

 

<3>

もし僕ら違う掟で生きるなら青い表紙の詩集は燃やす / 樋口円香 浅倉透


樋口が本を燃やしてる様子ってなんかいいよな、これに何らかの詩情を交えられないか、というのが出発点*8。ちなみに「青い表紙の詩集」に元ネタは特にない*9。敢えて言うなら浅倉のイメージカラー、あるいは樋口の「青さ」かもしれない。

「詩集」が何を表すかは、樋口が青春時代に考えたこと、感じたこと、いわば理想と現実のままならなさ、世界に対する不信と諦め、自己愛と表裏一体の自己嫌悪、そして浅倉透に向ける感情、といったところか*10。大人の視点で「青春の屈託」と言ってしまえば簡単だが、私のそれも、あなたのそれも、もちろん樋口のそれも、その一言で纏められてしまうのには抵抗があるだろう。

一首目の解題で述べた通り、樋口は確かに浅倉に執着しているが、彼女が他者にどう見られるか、どう変わっていってしまうかに関してはある種の諦めも持っており、更に二首目で言及したような一般的に言って物事、特定すれば浅倉との現在の関係の在り方には必ず終わりが来るということも、樋口は恐らくすでに理解している。
これを踏まえてこの歌では、樋口の視点で、もし浅倉が自分と違う世界で生きるなら、つまり、1) 自分とは並びえない特別な人間として生きるなら、2) あるいは美しい世界に生きようとする青年としての矜持を喪い凡百のつまらない人間として生きてしまうのなら、自分にそれを止める権利はないし、それはそれでそういう理(ことわり)なんだろうとは思うけど、浅倉のことはキッパリと別の世界の人間として忘れる、何故ならそうでなければ樋口が自分の人生を進めないから、という彼女の静かなる激情を、本を燃やすという行為に宿したかった。

ただ、そういう白黒、0/100的な物事の捉え方自体も「青い表紙の詩集」の意味内容に内包されている、という構造はある。要するに、浅倉との関係の変化を経て樋口自身も変わることができれば、浅倉との関係についてもっと柔軟な視点を得られるのではないか、という期待も私としては抱いている*11。ちなみに、「掟」という言葉は私が好きなスピッツ*12の歌詞に頻出する。私の言語感覚の70%は中島みゆきで、15%はスピッツで出来ている。

 

<4>

人生があす途切れてもいいように灰を撒く海を決めておいて / 浅倉透 樋口円香


これには三首目との対比構造がある。樋口から見た浅倉との関係は上述の通りであるが、一方で浅倉から見れば樋口との関係は、仮に多少形が変わったとしてもずっと続いていくものだと認識していると私は思っていて(浅倉の方がより広く、柔軟な視点で二人の関係をとらえているとも言える)、この歌ではそれを踏まえたうえで発展させ、仮にその関係が、突然に死によって分かたれたとしても、同じ海に灰を撒いたら一緒にいられるよね、という浅倉的なロマンティックな思考と、ことあるごとに「人生」という言葉を持ち出す感覚をトレースしてみようと試みた。浅倉は死に場所さえも樋口に委ねるという確信が私にはある。

関係の終着点ーーノクチルであればそれは海であろうがーーとしては、場所そのものよりも、一緒に撒かれること自体の方が大事だから、遺灰をどの海に撒くかは樋口が好きなように決めておいてよ、という二人の(ない)会話を妄想した。ここでもノクチルが帯びている「終わり」、ひいては「死」*13の概念が通底している。

浅倉は『世界の中心で、愛をさけぶ*14の映画が好きだろうな(亡くなったヒロインの遺灰をオーストラリアで撒こうとするシーンがある)、これを観た後に樋口にこのセリフを言ってそうだな、と作ってから思った。浅倉透が観ていそうな映画を本気*15で考えてみませんか?

 

以上、足りない部分、不明瞭な部分があるかもしれないが自分なりに整理してみた。出すもの出してしまったので、しばらく彼女たちを題に取ることは難しいかもしれない。

 

*1:頭が衰えていってなにが問題なのか? それはまだよくわかっていない。

*2:出力に乏しいとも言う。樋口が甘やかすからだぞ。

*3:ノクチル声優陣インタビュー(電撃オンライン、2020年4月15日付)参照。「“感情というプールで透は荒波を立てず、穏やかな波が流れている子”と教えていただきました」【シャニマス2周年記念】新ユニット“ノクチル”声優陣インタビュー。今の4人について思うこと - 電撃オンライン

*4:オタクはみんな死海文書が好き

*5:このあたり、感覚としてはあって種々書いて下さっている人はいるが、自分としての思考はまだ纏まっていないので、取り敢えずはそうだということにしておいて頂きたい

*6:浅倉が映画好きなのは、こういう人生観によるところもあると思っている

*7:長音は一字に数えるからそうなんですよね? この辺よくわからずにやってしまっている……

*8:なんか急に降ってきた。シャニマスのやりすぎでこの手の幻覚が増えているのかもしれない

*9:ウィトゲンシュタインの『青色本』だと思っていただいても結構。あの青色、きれいですよね。中身は難しくってなんも覚えてないけど

*10:拙ツイート参照。https://twitter.com/sang_zhi/status/1492529777865023488

*11:事実、樋口が登場する最近のコミュではその片鱗が見えている気がする。「成長」という言葉は使いたくないが、聡明ではあるものの未熟さの残る樋口が、少しづつ「大人」になっていく様子を楽しみにしている

*12:また出てきたよ

*13:これ言ってる人、あんま見たことないけどね

*14:歳がバレる。映画「世界の中心で、愛をさけぶ」|映画|TBSチャンネル - TBS

*15:我々のシネフィルアピールではなくて、彼女の感性と、情報としても/物理的なアクセスとしても現実的に手が届く範囲を真剣に考える、という意味での本気