自由帳

Ask perfection of a quite imperfect world.

28/04/2018: 『リズと青い鳥』(補遺)

2週連続で同じ映画を観て、更にレビューも2回書くという行為に異常性を認めることは可能だろうか。そうそうお目にかかれることではない。しかしそんなことはどうでも良い。まだ書き留めておきたいことがあるのだから致し方なかろう。それだけの推進力を与える作品ということだ。思いつくことをそのままに、品性下劣ながらひとまとまりの単文群で書き連ねることとする。文章ですらないかも知れない。ちなみにこの記事は本作の主題歌であるHomecomings –『Songbirds』を再生しながら書いている。YouTubeOfficialで上がっているぞ。「夏の初めに燃やした日記帳から 逃げ出した幽霊たち」がマイパンチライン

 

 

 

 

 

 

いや……第三楽章やった後の生物実験室(?)でのやりとりを咀嚼していたら感情がとんでもないことになってきた。鎧塚が止めどない勢いで傘木の良いところを並べ立てるけど、それ殆ど全部貴方のコンプレックスの裏返しじゃないですか……んで傘木が返すのも「みぞれのオーボエが好き」としか返さないってもう、貴方もコンプレックス起動型ですか。自身のコンプレックスから派生してしかお互い相手を想うことは出来ないんですか、お2人さん。でもだからこそ、他の人々にはないような重たくて奥行きのある関係性になってるんですかね。黄前と高坂とか、中川と吉川とかはお互い自分を持っていてそれなりに自分のこと好きだから、感情のぶつけ合いにはそこまでならんのでしょう。ってか人のパートを勝手に演奏してるあいつらはマジ何なんだ。あーでもコンプレックスで全部片付けるの本当に愚かな気がしてきた。俺にもっと人間と作品を深く理解する力があれば。傘木は人間として良くいる、何でも出来て人当たりも良くて何となく全てが上手く進む(=世の中的にはそんな人間そうそういないし「良くいる」はずもないのだが俺はアニメの話をしているんだ、分かってくれ)けど、決定的な才能がどこにもなくて、それが悔しくて仕方なくて、目を背けるけれど他の何となく上手く行っていることなんて本当に取るに足らないものに思えてきて、そしたら自分の籠の中にいると思っていた鳥に指を噛まれて。ズルいよな、ズルいよ。だけど鎧塚「だけ」に見つけて貰うために、第三楽章を演奏した後に生物実験室に逃げ込む貴方も、違った意味ながら大概ズルいですよ。貴方は鎧塚にどうして欲しくてそこに逃げ込んだのですか、他のよしなしごとは一杯伝えているのに、そういう大事なことほど伝えられないんですね。中川パイセンが言っていたように。

 

いやしかしその感情は分かる、分かると信じたい。後輩に自分のフルートを褒められていい気になっていた直後に、鎧塚「だけ」が新山先生に音大のパンフレットを貰っていて(この時の傘木が醸し出す負?憎悪?嫉妬?のオーラはとんでもなかった。もし顔が映っていたら完全にホラーだった)、鎧塚ときたらそれを特に誇りとも思わず、鈍感にもいつも通りのポーッとした顔をしてそれを臆面もなく伝えてくる。こっちの渇えも知らないで。傘木だったら(嫌らしくない程度に、それを絶妙な勘所を以て理解しつつ)人に言い触らすのにな。それでその後一人で屈託を抱えながらも新山先生に特攻したけどまるで相手にされなくて、組んだ手や脚で苛つきを表現していましたね。仕草で思い出したけど、鎧塚も鎧塚で他人の口からコンクールの話題が出るたびに「(いや……そんなんどうでもいいですわ……)」と言わんばかりに毎回髪を撫でるのをやめろ。あとバスケ代わって欲しいなら中川パイセンにちゃんと言葉で頼もう、子供じゃないんだから。中川パイセンはイケメンだから察してくれるけど。二人とも本質的には世でやっていけない感じなのがまた際立っている。

 

音大の話が出てから、更に剣崎が鎧塚と仲良くなってからの傘木の変化には生々しい怖さがあった(と同時に鳥っぽい(鳥っぽいって何だ)動きが傘木から喪われていく)。だが、それでは貴方はそれまで鎧塚に、自分の他に友達も予定もないことも知っていて、演奏のレベルも自分が脅かされる程ではないという認識も持っていて、ああいう質問を投げていたのですか。それから、鎧塚の「好き」の重み、それが如何ほどなのかを知っていながら、冒頭やたらと「好き」という言葉を連発したり、鎧塚が寄りかかるか、何か大切なことを言おうとしたら避けたりしていたのはわざとなのですか。それとも鎧塚が自分の心の中に入ってくるのが怖かったのですか(きっと貴方にはそれまでそういう経験はなかったのでしょう)。鎧塚の言う「練習」は彼女にとって「希美と一緒に居られる時間」と同値であるということに少しの配慮も払わず(「本番なんて、一生来なくていい」の演技が強すぎる)、「『練習』、好きだよ」と笑顔で答えたのもわざとだったのですか。わざとだったとしたら貴方は悪い女だ。わざとじゃなかったとしたらもっと悪い女だ。でもこの「練習」が、最後の場面においては鎧塚が先に校門を出、外の階段でも鎧塚の方が高い位置にいた挙げ句、「本番頑張ろうね」(ハッピーアイスクリーム!!!)になっていたのが本当に、本当に……鎧塚は遠くに行ってしまうのだな、ようやく磨りガラスの向こうにいたお互いが少し見えてきたのに、違う道を歩むと決意することがお互いの距離を真に縮めることの鍵になっていたなんて、何と皮肉なことか、何故神は籠の開け方を教えた給うたのか……校門を出るときに飛んでいた二羽の鳥は近付いたり離れたりしながら飛んでいたが、あの二羽はその後どうなってしまうのか……そして最後、傘木が鎧塚に掛けた言葉は何だったのだろうか。己の「音楽の才能」に見切りを付けて、やっと鎧塚と一人の人間として向き合うことが出来て、傘木の心に芽生えた「鎧塚の好きなところ」なのだろうか。生物実験室で伝え合った(コンプレックスの裏返しとも取れるような)お互いの「好き」が、傘木にとっては音楽に対するある種の諦念を得て、鎧塚にとっては傘木からの解放を得て、僅かに、しかし本質的に変化した結果、いまお互いがお互いに対して抱く「好き」は一体どんな言葉で表現されるのだろう!!!ああいう終わり方最高なんだよな……間違いなく「ハッピーエンド」だ。言葉にしてしまったらそこから先が生まれないんだ。鎧塚の瞳が煌めくたびに、そして糸目になって本当に幸せそうな表情をするたびに、劇場でクソデカ溜息を漏らしていた迷惑人間が俺だった。前回の記事にも書いたがフルートに陽光が反射しているシーンはそういう鎧塚の表情が具に感じられて言葉では語り尽くせないくらいに好き。ホンマに好き。先述の階段の位置関係くらいは掴めたが、人物の表情、仕草、台詞の裏(どいつもこいつも言外の意味ばかり忍ばせてくる)、音楽等に集中する余り、構図の方には目が配れていない気がする。次回はそこに注目しよう。

時間は巻き戻るが、剣崎と鎧塚が仲良くなった契機が「リードを作ってあげる」というある意味実利的な事柄であったのもクリティカル。きっと貴方は、他者に何かを与えられないならば、自分には他者と関わる資格はないと思うタイプの人間なのでしょう、「私が行ってもつまらないから」と面と向かって言ってしまうくらいに。分かるぞ、俺もそうだから。自分の価値というものの実在を信じられず、具体的な物や利益を介さないと他者との関係が息苦しくなる、そういうことで合ってますか。生物実験室でフグを眺めているのも、可愛い顔して強烈な毒を持っているとかそういうところなのでしょうか。でもそんな皮相的な読み方で良いのか、俺には分かりません。どうでも良いけど「フグに餌をあげてた」じゃなくて「フグにごはんをあげてた」って貴方は言うんですね。傘木なら絶対「餌」って言うぞ、賭けてもいい。振り返ると(当然ではあるのだが)剣崎の存在はかなり重要でしたね。傘木なんかよりもよっぽど鎧塚に対する「好き」がDefineされてたんじゃないでしょうか(適切な日本語が見当たらない)。それだけでもかなりの役割を占めている。

音楽的素養がないので演奏に就いては沈黙を守らざるを得ないのだが(とは言え人間関係や映像の方に素養があるわけでもないので、素人は黙っとれという話になるのだが喋らせてくれ頼む)、演奏の直前に吸う息?の演技が抜群すぎてたまげた。何だアレ?魂の籠もりっぷりがおかしい。やっぱ声優って揃いも揃ってとんでもねぇ天才なのか(それはそう)?じゃあラジオで世間話とかリスナーからのしょうもない質問の答えなんてしてないで、同業者とガチの戦争をやってくれ、そういうのを俺は聴きたいんだ。とにかく全編通してそうなのだが、特に演奏のシーンでは滝先生の言う「楽譜の間」が十二分に発揮されていた。

なんか一切のまとまりがないが、思い出せる限りではこれくらい。

今度はミュージックPVが上がっていたので貼っておく。

https://www.youtube.com/watch?v=OGWO3u8zgTU