自由帳

Ask perfection of a quite imperfect world.

25/09/2022: シャニマス短歌22年9月号 - 解題

今回の第十二回歌会は部分参加となってしまったこともあり、以下に解題を記す。提出内容は下記。題字は順に、『服』『十』『秋』『酔』の四字。


おとなりの服部君は忍者でも探偵でもないんだけど、親切 / 浅倉透

クレヨンを幾重に塗った十和田湖の青にたゆたう神の魚(いお)ども / 幽谷霧子

秋葉原駅電気街口 感傷が笑っちゃうほど似合わないのね / 黛冬優子

こんど会うとき見せよっか ジャッキーと特訓したんだガチの酔拳 / 浅倉透

 

総論として、自分にとってこれらの題字はかなり難しいと感じていた。例えば『服』に関して言えば、自分は服飾に全く興味のない人間なので文字通りの服に関する歌は作れないだろうと思ったし、『秋』をそのまま季節として使うのは相当扱いが上手いか、内容を練り込まないと平凡な内容になってしまう可能性が高い。『酔』にしてもお酒を飲めるキャラクターは限られる中で着想が被ってしまう恐れがあるな*1、等と思っていた。よって具体的に歌の内容を考え始める前に、固有名詞を使うという縛りをかけて、そこから主体や情景を選んでいく順序とした。これは自分としてはあまりやったことのないアプローチであったが、結果的に考える方向性が絞れ、諸々忙しかった中で効率よく歌が作れた気がするので良かったかもしれない*2。一方で、お題に正面から取り組んでいないことを指摘されれば、ただ平伏するしかないのだが*3。以下各論に入る。

 

 

おとなりの服部君は忍者でも探偵でもないんだけど、親切 / 浅倉透

 

一番最初の題字であるが、完成したのは一番最後である。『服』を用いた固有名詞がどうしても思い浮かばず、さりとて衣服に絡めてなにかを言えそうな気もせず、半分おふざけでもいいから人名の「服部」を置いたうえでどう動かすかを考えた*4。そうは言っても、「服部」という苗字には読み方にやはり特徴があるのと、特定のキャラクターを想起させることから、一般的な苗字とは少し趣が異なるだろうと思い、その辺りを起点にしようとした。「服部」から例のキャラクターを想起してくれそうな主体としては、三峰、果穂、凛世、甜花、愛依、透あたりかなと想像し*5、あとは彼=服部君に対して何か詩情のありそうなことを思っていそうな主体として良さそうなのは透かな、と思い至った。透を主体に選んだ段階で、彼女がいわゆる「一般的な人間」に関わるときに見られる特徴として、「普通の人間の、平凡なところを、素朴に称えることができる」ことがあったなと思い出し、そこまで来ればあとは形を整えるだけだった*6。具体的に言えば、隣席の服部君はその名に反して別に特別な存在ではないが、彼の平凡な親切さを浅倉透はしっかりと見ており、感じている、というのが歌を通じて言いたいことかなと思う。結句は彼女らしくちょっとズッコケてしまうくらい凡庸な言葉で締めた方がキャラクターの解釈に適合するなと思い、また「んだけど」と字余りの口語体にすることで大したこともないのに少々勿体ぶった印象と、歌を彼女の語りとして聞かせる効果を狙った。

 

 

クレヨンを幾重に塗った十和田湖の青にたゆたう神の魚(いお)ども / 幽谷霧子

 

個人的にはこれが一番のお気に入り。『十』の付く固有名詞として十和田湖を思い付き、そうすると主体は幽谷霧子しかないと思った。そして彼女が、神の棲む湖とも言われる十和田湖を初めて訪れたとき、どのようなことが起こり、なにを感じただろうか、と想像を巡らせてみた。情景としては幼稚園、あるいは小学校低学年時の彼女が、写生大会のために初めて十和田湖を訪れたというもの。冒頭の「クレヨン」でそれが伝わってくれればと祈るばかりである。私も旅行で訪れたことがあるが、十和田湖は大変美しい湖である。いま以上に感受性が豊かであっただろう幼少期の幽谷霧子が、その美しさに心を打たれたことは想像に難くない。その美しさを表現するには単色のクレヨンでは到底足りず、いろんな色を混ぜて本当の湖の色に近づけようときっとしただろう。また、絵を描いている場所からは見えなかったであろう湖底の魚に思いを馳せたり、湖を取り囲む言い知れぬ神聖さを感じたこともあっただろうと想像した。全体を貫くテーマとしては、言葉にできないもの、人間には表現しきれないもの、見えないけれど確かに存在していそうなもの、そういうものに触れた、幽谷霧子の原体験的な出来事の一つに十和田湖があってもいいんじゃないか、というところかと思う。

結句の「魚」の読みを「いお」にし、また「魚たち」ではなく「魚ども」にしたのは、そちらの方が「神」との単語としての親和性が高そうだなと思ったのと、単純に全体を通して読んだ時の響きが良いかなと思ったのが理由。恥ずかしながら歌集を読むようになって初めてこの読み方を知った。ちなみに、読む会で指摘されていた「十和田湖にはもともと魚はいなかった」という事実を私は知らなかった。90年代には既にヒメマスの養殖が完了していたため、舞台設定に矛盾を来さないからいいものの、こういう事実関係はちゃんと調べておかないとなと反省した。また、最新のpSSRも湖が関係しそうだが、引いては見たもののまだ読めていない。反省その2。

 

 

秋葉原駅電気街口 感傷が笑っちゃうほど似合わないのね / 黛冬優子

 

唯一入賞を果たした一首。ありがとうございました。これに関しては歌会の中で話をさせて頂いたのでさして語ることもないが、黛冬優子にとって、様々なことがあったときの心の拠り所、つくばエクスプレスへの乗り換えで「一人になる場所」、そしてアイドルになるスカウトをされた場所、として大きな意味を持つであろう秋葉原という場所が、感傷を抱くにはあまりにも相応しくない場所*7であることを、自分らしいと自嘲気味に独り言ちる彼女を想像した。別の言い方にすれば、「感傷が笑っちゃうほど似合わない」のは、秋葉原という街だけではなく、常に前進し勝ち続けることを宿命付けられたアイドル黛冬優子にも言えることだ(=それって私らしいじゃない?)*8、というのが趣旨となる。これも十和田湖の歌に近い感じで先に「秋葉原」が固有名詞として出てきて、それでは主体は黛冬優子だろうと決まった。そして秋葉原という地名を使うには、それ単体では間口が広すぎるように感じ、より具体性が高い方がよいだろうということで「電気街口」までが固まって、さあ後はどうするか、という順序で考えた。

黛冬優子が秋葉原でストレイライトの広告を見かけて自身のアイドルとしての始まりを回顧する、というプロットは早々に思い付いたものの、なかなか形にするのが難しかった。結果、「感傷」という言葉をそのまま使うことには抵抗があったが「秋葉原駅電気街口」で14音も使ってしまっているので、残りの部分は私の技量と相談するとシンプルな形にせざるを得ず、またここで比喩を使っても猶更分かりにくくなるし、何より冬優子の語りにしないと実感が薄れるなと思ってこの形に落ち着いた。地名に大きく重心を置くのは、ディテールが上手く伝わらない方も当然いらっしゃる訳*9でちょっとした賭けであったが、今回は成功したように思う。あと初句七音をやったのも地味に初めてかもしれない。この場所の、風情のなさ、足早に通り過ぎていく感じが出てくれればと願って初句に持ってきたのだが、効果のほどはいかに。

 

 

こんど会うとき見せよっか ジャッキーと特訓したんだガチの酔拳 / 浅倉透

 

明らかに「酔拳」から入った歌。部長にナイスチャレンジ賞を頂いた。被ったらおしまいだな!ガハハ!と思っていたけど、幸いそうはならなかった。

酔拳に関わりがありそうな283プロアイドルは浅倉透をおいて他にいない。風野灯織が無理やりやらされていたらめちゃくちゃ面白いと思うがそれは別の話。景(景って言っていいのか?)としては、なんの因果か『ドランクモンキー 酔拳』(主演:ジャッキー・チェン、日本公開:1979年)*10を観た映画好きの彼女が、シャニPとの別れ際に放つ台詞としてこの歌があるという想定*11

この映画でジャッキー・チェンは、師匠についた修行の結果酔拳を会得し、悪役を打ち破るのだが、この過程はなんとなく【かっとばし党の逆襲】のコミュを想起させる。このコメディタッチでありながら熱いスポ根映画に感化された浅倉透は、修行シーンを繰り返し再生して、見様見真似の酔拳を例の部屋の中でやってみる。何回も観るうちにジャッキー・チェンがまるで友達のように思えてきて、「ジャッキーと特訓したんだ」というフレーズが彼女の口から自然に出てくるようになってしまったことや、「見せよっか」「ガチの」などと、頼んでもいないのに何故かちょっと得意げな浅倉透を想像するとかなり面白いし、キャラクターの雰囲気に合って生きている感じがするなと自分では思った。もしもこの可笑しさが伝わっていたら幸いに思う。

 

 

最後に。今回は入賞一首だったが総合三位に滑り込んだ。得票の詳細を見てみると何れの歌も四~五位には入っており、また気になると言って下さった方も多いようで、大変ありがたかった。この解題が皆さんの興味に適うものであれば嬉しい。一方で、作ったり解題を書いたりするのは楽しかったものの、やはりお題に正面から向き合ったものではないこともあって一位票を多数集める歌が作れなかったのが心残りであり、次回以降はもっと「文句なし」で良いと思えるような歌を作れたら、と思う。

 

 

*1:被った結果として得点がどうのこうのというよりは、多くの詠草が並ぶ中で多様な視点があった方が会として面白くなるだろう、またこの方向性は別に俺がやらなくても誰かがやってくれるだろう、という感覚があった。

*2:作歌に効率性を求めるな!

*3:実際、主席を取られた方は羨ましいくらいに正統派の取り組みであった。悪が栄えた例なし。

*4:言うまでもなく、例の「吉田」のパクリである。訴えられたら負ける。

*5:諸説あり。皆さんのご意見待ってます。

*6:私は浅倉透のこういうところが好きなんだなと思いがけず再認識した。彼女の人たらし力はこういう表現に言い換えることもできるんじゃないかと思う。「浅倉透は見た目じゃなくて中身なんだよ、わかるか?」などという限界オタクの戯言が喉まで出かかっている。

*7:四方八方からアニメ声の広告が大音量で流れてくる、すさまじい勢いで店が潰れては新規開店する、やさぐれたメイド服の女性が客引きをする、なんかやたらやかましいオタクがいる、等々行ってみれば分かる風情のなさがある。そういえば最近、とらのあなが閉店になりましたね。

*8:黛冬優子のこういう角度のナルシシズムが私はかなり好き。超かっこいいぜ!

*9:在京者の傲慢か? でも十和田湖も使っているしまあ許されるでしょう。これが麻布とか神楽坂とか中目黒とかから更に一レイヤー下げた地名、あるいは特定の学生街の地名とかだとヤラシイ(麻布とかのレイヤーで留まってるなら逆にダサくてかわいい)。そういう場所に入り浸っている人々は短歌とかやらなそうですが……

*10:ドランクモンキー 酔拳 - Wikipedia

*11:何故シャニPなのか? ノクチルの面々であればおそらく「まーたうちのカシラがバカなこと言い出しとるわ、ほっとこほっとこ」となるだけ、というのもあるが、主にこれは私の妄想と欲望に裏打ちされている。以下読み飛ばし推奨。

 

 

 

有り体に言ってしまえば、映画に影響されて脈絡なく、お前に酔拳を披露するぞ! と言ってくる彼女(当然、恋人という意味ですよ)って超可愛くないですか??? 最高じゃね??? というのが根本にあります。別れ際にこんなことを言われたら、次に会うのが楽しみでしょうがなくなってしまうじゃないですか。そういう観点で、さらっと読めてしまう「こんど会うとき見せよっか」に、下の句よりも断然重い意味を私は込めています。その酔拳、俺以外の人間に見せないでくれよ、頼むから。モテる女子は取り敢えず酔拳かましてくる、これは間違いないと思われます。だが浅倉透は俺の彼女ではない。

17/06/2022: シャニマス短歌22年6月号 - 解題

次回(6月18日開催)には参加できないため解題を記す。提出内容及び没案は以下。

 

涙さえ刈り尽くされた荒野にも救いの種を蒔くヒトの罪 / SHHis

暗闇を拓く勇気をくれるらしい姉の深紅の御守刀 / 和泉愛依

(没案: 六月のヴェールの彼方で幸福に塗り潰される君のくちびる / 樋口円香 浅倉透)

値引かれた絵画の青い鳥、君は 飛ぼうとしたの? 解っていたの? / 七草にちか

関内のスーパースターに憧れてスローカーブを下からすくう / 西城樹里 浅倉透

 

ユニット指定部門:SHHis

涙さえ刈り尽くされた荒野にも救いの種を蒔くヒトの罪 / SHHis

 

『モノラルダイアローグス』を引くまでもなく、両メンバーが様々な面で、特に精神面で深刻な危機にあるSHHisの現在。プロデューサーが施した処置にも表れている通り、この辛苦から彼女らが脱し、そして救い、あるいは幸福に至るためには、彼女らは自分自身を直視することで、もしかしたら今以上に苦しい局面を迎えなければならないかもしれない。完全に絶望に閉ざされていればひたすらに目を閉じて過ごすこともできようが、救いが微かに見えてしまうからこそ、それを追いかけてしまう責務・強迫観念が生じてしまうとも言えるかもしれない。

しかし、彼女らの現在に変更を加えようとする「彼」、「ファン」であるあの世界の人間、「観客」である我々、あるいは彼女たちの物語を描いている「こちらの世界の人々」は、心のどこかでそれを、彼女らが苦しみながら救いの種を掴んでいく様を望んでいるのではないか? そしてそうした我々の在り方はある種の罪ではないのか? という個人的心情がこの歌の出発点。例えば、「にちかに幸せになってほしい」と言って憚らないプロデューサー、そしてそれに同調する我々の多くにとって、その言葉が仮に曇りなき本心であったとしても、救いをちらつかせ、彼女らに一層の負担を強いかねないその態度が、果たして罪でないと言い切れるだろうか。SHHisの物語はそうした観点も投げかけているように私は感じる。

短歌としては、「涙さえ刈り尽くされた荒野」が読みどころのつもり。もはやSHHisには涙を流す時間も、感情も残されていないのだろうと私は思っていて、これを表現できていれば幸いに思う。「種」は安直ながらSHHis (Seeds) から引っ張ってきており、原案では「幸福の種」と使えれば、と思っていたが、音数が嵌らないので「救いの種」としたものの、どちらが良かったのかは分からない。「ヒト」の片仮名は、上述のような人間の在り方を人類総体としての動物的欲望と見てのもの。全体的な言葉選びはSHHisの世界観に即して硬めの言葉を中心にした。

 

テーマ指定部門:口紅

暗闇を拓く勇気をくれるらしい姉の深紅の御守刀 / 和泉愛依

 

自分は口紅のことは何も分からないので、分からない主体の目線を取ろうと思った。プロデューサーでは陳腐、かつ彼は結構色々知ってそうなので外し、キャラクターの男性兄弟はアリかなと思った。和泉愛依の弟は存在が明言されており、コミュにも登場するのでよさそう、そして彼の目線で姉の口紅がどう見えるかを想像してみたのがこちら。

あとは特に捻りはないと思う。シーンとしては和泉愛依が弟に口紅とはなんぞやというのを説明しているイメージ。特別なタイミングで使う化粧品って(少なくとも和泉愛依にとっては)何かに挑む際の武器、あるいはお守りなんじゃないの、と足りない想像力を働かせてみたが、言及がなかったのでまあイマイチですかね。私の心はまだ修学旅行で木刀を買う小学生男子で発達段階が止まっているので、口紅の、カバーを外して使うところや、先が細いその形状は、刃物を思わせるなと感じている。

 

次は同部門の没案。

六月のヴェールの彼方で幸福に塗り潰される君のくちびる / 樋口円香 浅倉透

 

ブライダル浅倉透が来たしな、という安直さから作った。モチーフが陳腐なのと、浅樋は食傷気味だなというのと、その重いテーマを扱うには表層的に過ぎる歌だなと思ったので却下。ただ、樋口円香が他人の結婚式で、式の雰囲気やしっかりと化粧をした花嫁を見て「幸福に塗り潰される」という感情を抱きそうだな、というのは割と急所を突いているのでは? と自画自賛をしてみる。「ヴェール」、「潰される」、「くちびる」で脚韻(で合ってる?)も意識したがまあ小手先ですね。

 

技法指定部門:対句

値引かれた絵画の青い鳥、君は 飛ぼうとしたの? 解っていたの? / 七草にちか

 

後半が正式な意味での対句になっているかは知らないが、私のガバ判定では100点満点の紛うことなき対句である。「青い鳥」はありきたりながら、幸福の象徴。本来幸福は無上のもので、他者と比較するべきものではないが、現実としては絵画に描かれることで客体となり、更に値段が付くことで比較の対象となってしまう。

幸福は無上のものだというのはあくまで理想論で、結局私の手の届かない幸福は確実にこの世に数限りなく存在し、そして私の手の届く幸福なんて、他者からすれば取るに足らない、大して努力もせずに手に入れられるもの、というのがつまるところ現実なんじゃないんですか? という、(私が思う)七草にちかの根本的な、やや歪んだ、でも易々と否定できるものでもない幸福論、あるいは彼女の幸福を阻んでいる価値観を表したかったのが前半。

後半は、絵画に閉じ込められ、比較の対象とされた上に、低い価値のレッテルを張られた幸福=青い鳥に対して、それを自身に擬えつつも、君はそこから脱出しようとしたのか? あるいは自身の置かれた立場を「わきまえて」安い絵画の中に安住するよう諦めたのか? と問いかけている彼女の内心の葛藤を示したかった。無論、彼女は飛び立ちたい、つまり今日までに自分で作ってしまった桎梏から解き放たれたいと思っているが、それができなかったとき、言い換えれば自分の望む幸福を得られなかったときの恐怖感から、飛び立つこと(=幸福になろうとすること)を躊躇している、と私は理解している。景のイメージとしては、公開の展覧会かなにかが行われている街中で見つけた、結果として低い価値を付けられてしまった絵画の中の幸せの青い鳥に対して、飛び立つ可能性がもう潰えてしまったのか、それとも挑まないことでそれがまだ残されているのか、迷いの中にあるにちかが問いかけるというもの。

例によって伝えたいことが多すぎて何も伝わらなかった可能性が高い(事前感想会でも類似の指摘あり)。あまり、溢れ出す俺の思いや解釈をぶつけようと思って短歌に押し込めすぎない方がよいのかもしれない。三句目の韻律の工夫は拾ってもらえたので嬉しかった。せっかく詩の形式なのだから、メッセージだけでは面白くないということで、できるだけ韻律にも工夫を差し込みたいと思う。

 

 

自由詠

関内のスーパースターに憧れてスローカーブを下からすくう / 西城樹里 浅倉透

 

プロトの自由詠やしな、ということで趣味全開に走った歌。以下趣味ポイントを列挙する。

1.シャニマス野球短歌を詠みたい

2.とおじゅりはあります

3.「スローカーブ」という単語には確かな詩情がある

 

樹里は約束コミュで休みを要求するときに「好きなチームの試合がある」と言う。前後の会話の内容からでは、その試合が野球であることは確定しないが、彼女は神奈川出身だし、関内駅至近に本拠地・横浜スタジアムを擁する横浜DeNAベイスターズの試合だろうという(ガバ)仮説は立つ。樹里がサッカーを観に行っているイメージはあんまりないし、何より放クラのフェス衣装に野球モチーフのものがあるので、これは正直野球の試合と見て間違いないと思う(ガバ推論ふたたび)。そして透と言えば、sSR【かっとばし党の逆襲】で取り上げられている通りバッティングセンターの常連なので、当然野球には関心があるはずであり、樹里と透は一緒に横浜の試合を観に行っているということがわかる(わからない)。

つれないマイペースな幼馴染どもとは行く機会がなかったため、初めて樹里に野球観戦に連れて行ってもらった透は、これまでTVで観ていただけでは分からなかった、スタジアムの歓声、迫力、選手の機敏な動きに圧倒される。実は透はルールの理解も少し曖昧だったりするので、樹里へ事あるごとに質問を投げ「オマエが来たいって言ったんじゃねーのかよ」などと呆れられながらも、「いま、あの人がフライだったのに走ったの、なんでだっけ」などとおかしいくらいに真剣に尋ねてくるので樹里も内心満更でもない。試合は終盤までもつれ、一点ビハインドで迎えた8回裏、ベイスターズの攻撃は二死二塁、この試合で通算4度目のチャンステーマが流れ、透も歌詞を間違えつつもいい加減メロディーは覚えて応援歌を辛うじて歌えるようになってきた頃、横浜の四番、関内のスーパースターが左打席に入る。1ボール2ストライクと追い込まれた4球目、直前の投球で外角に外した速球からの緩急を生かし、空振りを狙って対戦投手の右腕から投げ下ろされたスローカーブは、内角やや低めに甘く入り……(以下略)

 

スローカーブ」という言葉には、少なくとも私にとっては詩情がある。これは『スローカーブを、もう一球』という傑作野球ノンフィクション作品を読んだことがあるからである。ここで多くは語らない。

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「関内のスーパースター」は変化球打ちが上手いとされる筒香嘉智選手のイメージだった。事前感想会の指摘の通り、筒香選手の横浜在籍は2019年までなので、ノクチルの実装タイミングには被らないのだが、そこはどうか許してほしい。なぜなら、どうしても樹里ちゃんと浅倉に二人でハマスタ横浜スタジアム)に野球を観に行ってほしかったんです…… そんでみかん氷とか分け合って仲良くなって、それからも練習終わりに一緒にバッセン行くようになって、「よーし、カーブ打つぞー」とかなんとかとのたまって、逆転ホームランを生で観て感動した筒香の全然似てない真似をしてほしかったんです…… 私の中ではとおじゅりはあるんです……

短歌としては全くの直球だが、感想会でも言及頂いた通り、「スローカーブ」だと具体的な言葉かつ景が立ちやすい、また「スーパースター」「スローカーブ」「下からすくう」でサ行の(無駄な)頭韻を取ったのは意図的なもの。気付いてくれてありがとうございました。正直今回の五首の中ではこれが一番のお気に入りかもしれない。

 

今回はここまで。それでは。

 

27/02/2022: シャニマス短歌2月号 - 浅倉透と樋口円香

シャニマスに関する諸々を見たりやったりしているとよく話題になるこの二人、浅倉透と樋口円香。ご多分に漏れず私もこの二人のこと、そして二人の関係が好きなので、彼女らに的を絞って一連の短歌を作ってみたいと以前から思っていた。

という訳で作ったのが今回の四首。歌会に提出してはおらず、したがってこれらに関して他の方々とお話しする機会もなかったので、以下に背景等を含め記す。ただそれとは別に、最近は自分の考えていることを、たとえただの趣味の領域であったとしても言語化していかないと頭が衰えていくような気分が本当にあって、こういう文章でもいいのでできるだけ習慣化していきたいと思っている*1。どこかで「考えることの多くは、適切な言葉を探すことだ」という警句を目にし、確かにそうだなと思った記憶はある。言葉にするとはすなわち考えることである。

 

  1. さいはての塩湖に続く君の瞳がいつか聖書にされる ことわり / 樋口円香 浅倉透
  2. そのあとはカラーバーをただ眺めてた 真実以外逃げ出した部屋で / 浅倉透 樋口円香
  3. もし僕ら違う掟で生きるなら青い表紙の詩集は燃やす / 樋口円香 浅倉透
  4. 人生があす途切れてもいいように灰を撒く海を決めておいて / 浅倉透 樋口円香

 

この手のルールは人によりけりだと思うが、付記に関しては基本的に最初に来ている名前の人物が作中の行為及び感情の主体であり、次に来る人物がその対象と読んで頂きたい。それでは以下解題。

 

<1>

さいはての塩湖に続く君の瞳がいつか聖書にされる ことわり / 樋口円香 浅倉透

 

「あなたの中で、浅倉透と樋口円香はどういう関係にありますか?」と問われたとき、少なくとも現時点での私の答えはこれになると思う。

着想としては「sSSR【UNTITLED】樋口円香」のカードコミュがある。以下同コミュの内容は既読であると前提して進める。

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【UNTITLED】樋口円香のイラスト。吐く息も白い寒い日に、虚ろにも見える目で浅倉を見やっている樋口はなにを思っているか。その横で浅倉透は目を瞑っている。

 

浅倉はこのコミュの中で、多くの人間にとって特別な存在として描かれている。それは彼女の外見のみによるものではなく、出で立ち、雰囲気、発言も含め、雑に言ってしまえば「オーラ」とも言えるなにかが、彼女をそうした存在たらしめていることが読み取れる。これは樋口の視点では、浅倉と知り合って間もない人間に限らず、幼馴染でユニットメンバーである福丸小糸や、市川雛菜にとっても同様であるという。しかし樋口は、その誰とも異なり、自分だけが浅倉透という人間を理解していると、心の中で語る。ここからは推測になるが、浅倉を普通の人間だと思うこと、またそうだと言い続けることができるように彼女と比肩する存在であり続けることが、樋口のアイデンティティーの大きな部分を構成しているのだと思う。ただそれは、樋口からの一方的な執着ではなく、「pSSR【途方もない午後】浅倉透」でも描かれているように、自己認識についての自他のギャップに違和感を抱いている浅倉自身の求めと、樋口と共にあることの代えがたい心地よさもその関係を成立させている要素である。敢えて大袈裟な言葉を使うとすれば、二人は「共犯関係」にあるとも言える。思うまま、自由に振舞っても特別な存在としての孤独を感じることはなく、すべてを理解してもらえる心地よい関係を維持できる浅倉と、特別に見えて特別ではない彼女を理解することで、揺るぎない特別さを手中にし、それを自身のアイデンティティーとする樋口。あまり健全とは言えない二人の閉じた関係を衝き、揺るがしていくのがそれこそノクチルとしての活動なのだが、それはまた別の話。

さて、前置きが長くなったが、樋口が浅倉に関して抱いている、彼女の理解者としての自負と、その浅倉が人々に都合よく理解されてしまうことへの諦観を表現したかったというのが基本的な歌意である。聡明な樋口はそうした現実を、本当はそうであってほしくないと思いつつも、止めるでも拒むでもなく、浅倉の才と人々の愚かさを理解しつつ半ば諦めをもって「ことわり」としてなんとか消化しようとしている(「断り」のダブルミーニングで、彼女のささやかな心理的抵抗も含意している)。「聖書」の比喩は、最初は一人の男の言行を書き留めたに過ぎなかった文書が、数多の読み手の主観によって誇張され、何度も修正を加えられながら写本となり、本当の出来事ではないはずなのに世の中に数えきれないバージョンが溢れかえって、遂には世界のベストセラー、つまりある種の偶像や権威と化してしまっている現実を、浅倉透という人間の受け止められ方になぞらえたもの。「塩湖」については浅倉の心の在り方、つまり表向き美しくて穏やか*2だが、その中に広い世界があるといった意味合いを含めつつ*3、聖書と関連する言葉ということで死海をイメージさせたかった*4。比喩の接続は、この歌の全体的な硬質さを考慮して「のような」や「みたいな」ではなく「に続く」とすることで、表現としての凡庸さを回避するだけではなく、樋口から見た浅倉の瞳の色、そして心の奥深さとそれでも残る隔たりを表現できたらいいなと思っていた。

 

冒頭のイラストの樋口の虚ろな目は、そういう未来を悟ったがゆえのものだと思うと、楽しくなってきませんか?

 

<2>

そのあとはカラーバーをただ眺めてた 真実以外逃げ出した部屋で / 浅倉透 樋口円香

 

カラーバーとはこれである。放送を終了したテレビ局が、深夜に機器調整のために流す映像のこと。

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「ポーーーッ」って鳴るやつ。子供のころ怖くなかったですか?


この歌の情景としては、浅倉と樋口の二人が、浅倉の部屋で借りてきた映画を観たあとの真夜中の時間を描いている。映画が終わってから、地上波放送へテレビの入力を戻しても、彼女らにとってはくだらない、世の中の些事を取り上げるテレビ放送は既に終了し、無機質な色と音声だけが流れている状況で、映画の世界にある「真実」が、二人しかいない部屋の曖昧な時間の中でそのまま続いているさまを切り取りたかった。

多くの人が語っているように、ノクチル、特に浅倉と樋口の関係には常に終わりの概念が付き纏う*5。映画のような美しい時間、つまりノクチルとしての活動、ひいては幼馴染として過ごす時間が終わり、現実に放り出された後、彼女らはどうするのか、という問いは少なくともまだゲームの中では保留された問題になっており、その曖昧さと映画の余韻には重なる部分があると私は感じている。浅倉はWINGのシナリオの中で、ノクチルとしての活動に出会う前、「人生が長すぎる」とこぼしている。取り立てて目標も夢もあるわけではなく、自身の向上も感じられないでいたであろう彼女の人生*6がWINGを契機として変わり始めたのは事実だが、その、ノクチルとしての活動の終わりを経ても彼女の人生は続く。

「そのあとは」という言い方には、断言せずに事後の可能性も示唆する意図もあった。下世話な話だが、彼女らの行為には「真実以外」を徹底的に拒み、むしろそういう非本質的な概念たちが自ら逃げ出すほどの、気高さ、そして緊張感が漂っている気がしてならない。そして、行為に及んだその瞬間、彼女らの現在の関係は終わってしまうのかもしれない。

ちなみに、「カラーバー」のあとの「を」は、字余りを招いてしまうものの*7「カラーバーただ」だと、滑らかではあるが口に出したときに少々ダラっとしてしまう印象が個人的にあり、語調を引き締めたかったのと、本来注目されない無内容なカラーバーが二人の中では目線の対象であることを示し、作中の焦点を寄せたいという気持ちもあった。

あと、推敲を手伝ってくださった方から「pSR【おかえり、ギター】浅倉透」のイラストの雰囲気にも似ているという指摘を頂き、確かにそうだなと思ったのでイラストを貼っておく。めちゃくちゃいいですよねこのイラスト。

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樋口がこれ見たら「……ふーん」って言いそう。

 

<3>

もし僕ら違う掟で生きるなら青い表紙の詩集は燃やす / 樋口円香 浅倉透


樋口が本を燃やしてる様子ってなんかいいよな、これに何らかの詩情を交えられないか、というのが出発点*8。ちなみに「青い表紙の詩集」に元ネタは特にない*9。敢えて言うなら浅倉のイメージカラー、あるいは樋口の「青さ」かもしれない。

「詩集」が何を表すかは、樋口が青春時代に考えたこと、感じたこと、いわば理想と現実のままならなさ、世界に対する不信と諦め、自己愛と表裏一体の自己嫌悪、そして浅倉透に向ける感情、といったところか*10。大人の視点で「青春の屈託」と言ってしまえば簡単だが、私のそれも、あなたのそれも、もちろん樋口のそれも、その一言で纏められてしまうのには抵抗があるだろう。

一首目の解題で述べた通り、樋口は確かに浅倉に執着しているが、彼女が他者にどう見られるか、どう変わっていってしまうかに関してはある種の諦めも持っており、更に二首目で言及したような一般的に言って物事、特定すれば浅倉との現在の関係の在り方には必ず終わりが来るということも、樋口は恐らくすでに理解している。
これを踏まえてこの歌では、樋口の視点で、もし浅倉が自分と違う世界で生きるなら、つまり、1) 自分とは並びえない特別な人間として生きるなら、2) あるいは美しい世界に生きようとする青年としての矜持を喪い凡百のつまらない人間として生きてしまうのなら、自分にそれを止める権利はないし、それはそれでそういう理(ことわり)なんだろうとは思うけど、浅倉のことはキッパリと別の世界の人間として忘れる、何故ならそうでなければ樋口が自分の人生を進めないから、という彼女の静かなる激情を、本を燃やすという行為に宿したかった。

ただ、そういう白黒、0/100的な物事の捉え方自体も「青い表紙の詩集」の意味内容に内包されている、という構造はある。要するに、浅倉との関係の変化を経て樋口自身も変わることができれば、浅倉との関係についてもっと柔軟な視点を得られるのではないか、という期待も私としては抱いている*11。ちなみに、「掟」という言葉は私が好きなスピッツ*12の歌詞に頻出する。私の言語感覚の70%は中島みゆきで、15%はスピッツで出来ている。

 

<4>

人生があす途切れてもいいように灰を撒く海を決めておいて / 浅倉透 樋口円香


これには三首目との対比構造がある。樋口から見た浅倉との関係は上述の通りであるが、一方で浅倉から見れば樋口との関係は、仮に多少形が変わったとしてもずっと続いていくものだと認識していると私は思っていて(浅倉の方がより広く、柔軟な視点で二人の関係をとらえているとも言える)、この歌ではそれを踏まえたうえで発展させ、仮にその関係が、突然に死によって分かたれたとしても、同じ海に灰を撒いたら一緒にいられるよね、という浅倉的なロマンティックな思考と、ことあるごとに「人生」という言葉を持ち出す感覚をトレースしてみようと試みた。浅倉は死に場所さえも樋口に委ねるという確信が私にはある。

関係の終着点ーーノクチルであればそれは海であろうがーーとしては、場所そのものよりも、一緒に撒かれること自体の方が大事だから、遺灰をどの海に撒くかは樋口が好きなように決めておいてよ、という二人の(ない)会話を妄想した。ここでもノクチルが帯びている「終わり」、ひいては「死」*13の概念が通底している。

浅倉は『世界の中心で、愛をさけぶ*14の映画が好きだろうな(亡くなったヒロインの遺灰をオーストラリアで撒こうとするシーンがある)、これを観た後に樋口にこのセリフを言ってそうだな、と作ってから思った。浅倉透が観ていそうな映画を本気*15で考えてみませんか?

 

以上、足りない部分、不明瞭な部分があるかもしれないが自分なりに整理してみた。出すもの出してしまったので、しばらく彼女たちを題に取ることは難しいかもしれない。

 

*1:頭が衰えていってなにが問題なのか? それはまだよくわかっていない。

*2:出力に乏しいとも言う。樋口が甘やかすからだぞ。

*3:ノクチル声優陣インタビュー(電撃オンライン、2020年4月15日付)参照。「“感情というプールで透は荒波を立てず、穏やかな波が流れている子”と教えていただきました」【シャニマス2周年記念】新ユニット“ノクチル”声優陣インタビュー。今の4人について思うこと - 電撃オンライン

*4:オタクはみんな死海文書が好き

*5:このあたり、感覚としてはあって種々書いて下さっている人はいるが、自分としての思考はまだ纏まっていないので、取り敢えずはそうだということにしておいて頂きたい

*6:浅倉が映画好きなのは、こういう人生観によるところもあると思っている

*7:長音は一字に数えるからそうなんですよね? この辺よくわからずにやってしまっている……

*8:なんか急に降ってきた。シャニマスのやりすぎでこの手の幻覚が増えているのかもしれない

*9:ウィトゲンシュタインの『青色本』だと思っていただいても結構。あの青色、きれいですよね。中身は難しくってなんも覚えてないけど

*10:拙ツイート参照。https://twitter.com/sang_zhi/status/1492529777865023488

*11:事実、樋口が登場する最近のコミュではその片鱗が見えている気がする。「成長」という言葉は使いたくないが、聡明ではあるものの未熟さの残る樋口が、少しづつ「大人」になっていく様子を楽しみにしている

*12:また出てきたよ

*13:これ言ってる人、あんま見たことないけどね

*14:歳がバレる。映画「世界の中心で、愛をさけぶ」|映画|TBSチャンネル - TBS

*15:我々のシネフィルアピールではなくて、彼女の感性と、情報としても/物理的なアクセスとしても現実的に手が届く範囲を真剣に考える、という意味での本気

31/01/2022: シャニマス短歌 1月号

1月29日開催の前回の歌会に4首を提出したものの、残念ながら都合が付かず通話には参加できなかった。ただ、その場で自作を話題にして頂けたようであり、かつ自身としても整理をしておきたいと思うので、解題を書く。提出したのは以下。

 

  1. ありがとう、スノードームに護られた日々 朝焼けの海で目覚めて / noctchill
  2. 先代の居候です。覚えてる? 三〇二号の窓は西向き / 桑山千雪
  3. am のあと I が来たっていいんだね そのしなやかさと歩む、わたしは / 福丸小糸
  4. ときどきは妬ましいのかも人類の正夢めいた君のたましい / 八宮めぐる

 

<1>

ありがとう、スノードームに護られた日々 朝焼けの海で目覚めて / noctchill

 

お題は「ノクチル」。ユニットがお題になっているときはできるだけそのユニットを包括的にとらえて、それぞれのユニットが持つ世界観に即した言葉と情景を使いたいという超個人的なこだわりがあり、今回の歌もそれに則っている。ただ、ノクチルの場合は「さよなら、透明だった僕たち(チルアウト・ノクチルカ)」という、この観点からしても極めて完成度の高いキャッチコピーがあり*1、これをどう咀嚼するかという点に悩んだ。結局は、このキャッチコピーをモチーフにしつつ、同じ意味内容を別の視点から描いたアンサーソング的なものにしたいという形に落ち着いた。

まず「チルアウト・ノクチルカ」を踏まえて、舞台設定は海にした*2。「ありがとう」は「さよなら」に応答する投げかけであり、「透明だった僕たち」を「スノードームに護られた日々」で言い換えている。この部分を詳しく述べると、「透明だった僕たち」の自分なりの解釈に合わせて、「スノードーム」を、色のない、硝子に守られた、海のようでありながら閉鎖された平和な世界、ノクチルのメンバーにとってみれば幼馴染が未分化なまま4人で仲良く過ごし、それが永遠に脅かされない日々のことを表す比喩として使った。「ありがとう」という言葉には、そうした日々が彼女らの中で相対化され、惜別すべき対象としてとらえられるようになった、という意味も込めたつもりだ。下の句では、その日々がノクチルとしての活動によって変わっていくーー比喩に頼るならば、硝子の外にある本当の海へと漕ぎ出す、つまり新しい一日が始まり、真っ白な世界から一転して日の出によって色付いてゆく海に、彼女らが投げ出されていくーーさまを伝えたかった。「目覚めて」の部分には、浜辺に打ち上げられ、終わらない日常(浅倉透の言葉を借りれば「長すぎる人生」)とも言える「夢」から覚めた情景を打ち出す意図があったのだが、少々言葉足らずだったと思う。今回はこの歌のみ入賞を逃したが、出来すぎた公式のキャッチコピーをある程度翻訳でき*3、かつ自分としては納得の行く比喩で書けたので、実は個人的には4首の中で一番のお気に入り。情景のイメージはまさに以下の sSSR【がんばれ! ノロマ号】そのもの。

 

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<2>

先代の居候です。覚えてる? 三〇二号の窓は西向き / 桑山千雪

 

お題となるテーマは「故郷」。私は大学に進学する際に上京したのだが、元から東京に住んでいた友達が、よく夏休みなんかには「俺も故郷を持って帰省とかしたい」と言っていたのに対して「東京の中にも懐かしいと思える場所はきっとあって、それも故郷じゃないかな」と返したのを思い出し*4、ただ単に上京の叙情を表すのではなく、283プロのメンバーにとっての「東京における故郷」を主題に据えたいと考えた。この観点で人選をするならば、現在住んでいる寮がいずれ故郷になるだろうという理由で寮組が有力となり、その中では既に東京の中で引っ越しを経験している桑山千雪が、時間軸の広さも踏まえてベストだと思った。

この歌で描いている情景は、街を歩いていたらふと寮に引っ越す前に住んでいたアパートを目にした桑山千雪が、自分の過去と、現在そこに住んでいる人間に思いを馳せている一瞬*5。「先代の居候」には、彼女なら住居の擬人化や、こういう言葉遣いをしそうだというイメージと、住居=場所は常に動かずそこにあり、人間が入れ替わっていくことで初めてその場の歴史が築かれていく、更にはいつか彼女自身も寮を出ていく立場=居候である、というニュアンスを込めた。下の句では、上の句だけでは過去の住居に宛てていると判断するだけの情報が足りないと思ったので、それを補完するとともに、住んだことがなければ分からない情報、つまり外観だけで何号室なのか、また窓がどちらの方角を向いているのかが分かる、ということを、しつこすぎないディテールで表現しようと思っていた。

 

<3>

am のあと I が来たっていいんだね そのしなやかさと歩む、わたしは / 福丸小糸

 

お題の技法は倒置法。シャニマスきっての倒置法の使い手である浅倉透を敢えて主体に置かず、彼女から影響を受けた誰かが倒置法を使うという構成が最初に思いついたアイデアだった。そうであれば福丸小糸がよさそうで、彼女の勤勉なイメージから、(またお題を踏まえて、日本語と語順が異なる言語的構造から、)受験英語の語句整序問題を題に取っても面白いと思い、この形になった*6。GRAD や Landing Point, その他プロデュースカードのコミュの中で、福丸小糸は一貫して自身の在り方や居場所について悩んでおり、それらのコミュ群に対する私の解釈を要約すると、「目標とする自分があることは素晴らしいことだが、しかしそれは現在の自分に瑕疵があることを意味するわけではない。目標に向かいつつ、現在の自分を肯定することが、誰かの勇気に繋がることもある」という解決に一応は至ったのだと思っている。

そのあたりの彼女の成長の経緯を踏まえ、「am のあと I が来たっていいんだね」、つまり現在の自分を固着させず疑問形に置いても構わない*7、また自己という存在の置き場所はもっと柔軟でもいい、ということ、言い換えれば福丸小糸にとって恐らくそのとき最も必要だった「しなやかさ」を、アイドルとしての活動を通じたノクチルのメンバーとの一層深い関わりと、自身の挑戦と気付きの中で理解していく、というのが主題だった。どうでもいいけれど、「歩む」の部分の動詞に何を入れるかは悩んでいて、最後には「I'm」の読みに近いからという理由でこれを採用した。なんかもう少しフックのある単語でも良かったんじゃないかな~と思っている。

 

<4>

ときどきは妬ましいのかも人類の正夢めいた君のたましい / 八宮めぐる

 

こちらは自由詠。今回の4首の中ではたぶん最も「読んでそのまま」な歌だと思う。想定していた目線は八宮めぐるのクラスメイト、あるいはその他の関係で近い距離にいる人間で、その中でも彼女に対して複雑な感情を抱いている人間からのもの。出発点としては、マイナスの意味を含んだ言葉もどうにかして歌の中で使いたいなと思ったことがある。そのうえで、理屈の上では圧倒的な眩しさ、正しさを持つ存在に、どう人間らしい感情をぶつけてみようか、というアプローチを取ろうと思ったことから、八宮めぐるとその周囲の人間の関係性、という構図が決まった。彼女のあまりに眩しい在り方をどう表現するかということについては紆余曲折あったが*8、多少大袈裟になってもいいから、少なくとも作中主体の目線からはこの世にこれ以上のものはない、ということを示すべく「人類の正夢めいた君のたましい」にたどり着いた*9。そのうえで上の句をどういう形にしようかと思案したが、使いたかった否定的な言葉を無遠慮に入れると角が立つので、「たましい」に引っ掛けて「妬ましい」が、真剣になりすぎず、語の印象を和らげられて嵌りやすいかな、と思った次第*10

自分の頭の中では、完全に非アイドルの目線から見た八宮めぐるのことを考えていたので、通話時のチャットにあった、「イルミネーションスターズのメンバーが作中主体では?」という投げかけは自分としては新鮮で面白いし、大いにアリな解釈だなと思った。特に彼女に絆されかけている頃の風野灯織がこういった感情を抱いていても全く不思議ではないし、葛藤を経た時期があったと思うと、彼女らの関係性の見方に一層深みが出るのかなと感じた。

 

以上4首の解題。同時期に浅倉透と樋口円香の2人に関する4首も作っており、結構苦戦したので、これらに関してもそのうち書きたいと思う。

 

追記:今回は誰がどの歌に投票したのかがわかる制度だったので恐る恐る覗いてみたところ、貴重な1位票の3/4を俺に投票してくれた神がいたことが発覚し、マジでありがてぇ~ってなってます。そういう人のおかげで続けられる訳ですよ。

 

 

*1:Landing Point編である種の結実を迎える彼女たちの変化は、まさにこのキャッチコピーが指し示すものだと思っている

*2:Noctiluca scintillans は夜光虫、海洋性のプランクトンのこと

*3:シャニマスの公式と戦っている瞬間が一番楽しい

*4:その友達はピンと来ていないようだった

*5:私の実体験及び、リプライパーティーでの「ひび」に関する彼女の話を踏まえている

*6:結局それらの構想は最終的な形には跳ねてこなかったのだが

*7:この部分は、英文法上の倒置法ではないので若干の混乱を招いたかもしれない

*8:八宮めぐるが出てくるコミュを読むたびに俺は、俺の心は……

*9:スピッツの『正夢』を偶然聴いていて思い付いた。スーパー単純マン。

*10:ダジャレとも言う

14/11/2021: シャニマス短歌 11月号

最近作ったものの幾つかについて書く。

  1. 再訪の約束果たし舞い降りる銀河高原麦酒の馴鹿 / イルミネーションスターズ
  2. 窓辺にて背中をさらす染指草 葉に霧浴びて紅が和らぐ / 樋口円香 幽谷霧子
  3. 贋作(Replica)に溺れる都市の片隅で真白き画布を撫でた教室 / 樋口円香
  4. 大げさな記号が導く4C2 去年の今頃どうしてたっけ / 福丸小糸
  5. 伸ばす手が翳りとともに知ってゆく あなたの光、わたしの灯 / 風野灯織

 

<1>

再訪の約束果たし舞い降りる銀河高原麦酒の馴鹿 / イルミネーションスターズ

 

モチーフとなるコミュは「【スタァライトショウタイム】八宮めぐる」。未読の方のために簡単に説明すると、三人で星の見える高原に旅行に行き、展望台から星を見て三人のアイドルとしての未来を語り、その成功を誓う話である(マジで身も蓋もない説明)。コミュのエッセンスとしては、彼女らが星の見える場所へ旅行し、三人の未来に思いを馳せるというところで、短歌にするにあたって後述の私の妄想を重ね合わせたもの。

銀河高原ビールは以下のサイトの通り、水色を基調とし、馴鹿(トナカイ)の絵をあしらった美麗なパッケージをしている。

gingakogenbeer.com

銀河を思わせる淡い水色、ヘーフェ・ヴァイツェン白ビールが持つ金色に近い黄色、そしてその名前とで、私が持っているイルミネーションスターズのイメージに近いところがあると思い、第二のモチーフに採用した。妄想の内容としては、旅行の戻りにお土産屋に立ち寄った三人が飲み物コーナーでこの製品を見つけ、そのパッケージに目を引かれたものの、酒類なので残念ながら買うことはできないと知る。それでも、昨夜の会話を念頭に置きながら、20歳になったらまたここに来て、このビールを飲もう、と約束をする、というものである。一応この妄想には全く根拠がないわけではなく、「【シュカのまにまに】八宮めぐる」*1では、ロケの休憩時の一幕でプロデューサーがビールを飲みたいという内容の選択肢を選ぶと、仕事中だと咎められたのちに、(めぐるが)成人したら一緒にビールを飲もう、という約束をする会話が発生し、ここの流れも引いている。八宮めぐるは、現在の人間関係が五年経ってもそのまま続いていると疑いなく信じることのできる人間であるわけだ。前置きが長くなったが、この三人での約束が果たされ、再び同じ場所を訪れ、同じ星空を見て銀河高原ビールを飲む、という内容をなんとか短歌の形に収めようとしたのが掲題である。漢字を多めにした、特にトナカイを片仮名で書かなかったのは、彼女らが大人になったことを暗示したかったという側面もある。それはそれとして、トナカイが冬の星空から降りてくる情景は二次創作という要素を横に置いても個人的に好きなものである(実際、歌会で同様の感想を頂けた。ありがとうございました)。

 

<2>

窓辺にて背中をさらす染指草 葉に霧浴びて紅が和らぐ / 樋口円香 幽谷霧子

 

モチーフは二人のホーム会話。内容は以下の通り。

樋口円香「私も植物に水くらいやるけど ……手出し、しない方がいい?」

幽谷霧子「ふふ…… あげちゃいけない人は…… いないよ……」

 

これだけ。これだけである。これだけなのだが、私はこの会話が本当に好きで、なぜなら二人の性格、ものの感じ方、ひいては関係までが凝縮されていると思うからだ。何事にも「資格」や「身の程」を行為の先に考えてしまう性質を持ち、花に水をやる優しさを持ち合わせていながら(かつ朝コミュでは花の面倒を見ている人間を円香が認識しているという内容が取り上げられている)、「やる」という、間違ってはいないがぶっきらぼうな表現をする*2円香に対し、受容と博愛を以て返す霧子。特に「あげる」と、水やりの表現を円香のそれから変えることで、先述の部分に注意を促していると感じた。このやり取りを何とか短歌に落とし込みたい、と考えて作ったもの。残念ながら入賞は逃したものの、ある程度は形にできたので良しとする。

染指草は「ほうせんか」と読み、その字の通り中国では爪を赤色に染めるために使われた。また、花言葉は「私に触れないで」「心を開く」とある。正直、花言葉なんていうのはどうとでもとらえられるような意味が多かったり、ほかの花と重複したり、まあなんか結局恋愛関係のなにかでしょ、と個人的に思っていて、自分の作歌や解釈に積極的には取り入れないようにしているのだが、これに関しては、花としての性質やギリシャ神話の由来もあるようで、ちょっと特別かなと思い採用した。その色と花言葉から分かるように、染指草は言うまでもなく樋口円香の譬えであって、上の句と下の句がそれぞれ円香と霧子の発話に対応し、円香の心が解けていく様を表している。「葉に霧浴びて」は水やりのことで、それを通じてビビッドな紅、つまり円香の頑なな心が和らいだことを表したかったのだが、伝わったのだろうか……?ちなみに小ネタとしては「窓」は「円香」のマドであり、「霧」は「霧子」のキリである。どうでもいいですね。

 

<3>

贋作(Replica)に溺れる都市の片隅で真白き画布を撫でた教室 / 樋口円香

 

また樋口か。でもこれは誕生日企画で作ったものなので仕方ない。イメージは小糸、果穂、チョコ先輩*3といった「そういう子たち」に、「ああいう」関わり方をする円香先輩を、「気持ちわる~」と「べつにいいんじゃない~?」の境界線上で表してみたいなと思った次第。世の中の悪いこと、汚いことを知っている(つもり)の円香は、それを知らない純粋なもの、無垢なものに価値を見出し、それがそのままであってほしい、彼女らが汚されたり傷つけられたりしてほしくない、と思っていると私は解釈している。嘘や偽りを嫌う円香は、それに満ち溢れている世界にうんざりしており、正しいもの、純粋なものを匿おうとする。この匿おうとする対象は他人だけではなく、彼女自身の心もしかりであろう、と私は思う。「溺れる」の選択は、「【カラカラカラ】樋口円香」のホーム台詞から引っ張ってきている。都市と学校(教室)、贋作と(色が塗られる前の)画布をそれぞれ対置したことによって、純粋なものを保存しておきたいという円香の信条が伝わっていれば幸いである。厳密には贋作とレプリカ(=複製)は違うものなのだが、円香のまだ世間を知り切っていない感じに符合すると思い敢えてこの形とした。「撫でた」は、ほかの部分がニュートラルな印象を与えていると思ったので、「俺がお前を守る!」的な「気持ちわる~」ポイントを稼ごうとして入れた。

余談だが、この歌を作っている最中に、高校の国語の教師が「学校っていうのは社会や世の中のルールみたいなものから隔絶された自由な空間だ。君らを守っているとも言える。その中にいる限りは、外ではできないかもしれないようなことをどうかやってほしい」に近いようなことを言っていたことを思い出した。

 

<4>

大げさな記号が導く4C2 去年の今頃どうしてたっけ / 福丸小糸

 

これは福丸小糸誕生日企画で出したもの。上の樋口のものもそうだが、誕生日企画はその企画の特性上、フィードバックを頂いたり、他の方の制作経緯を伺う機会は少なく(それでも伝えてくれる人がいらっしゃり大変ありがたいです。少ないことが問題だという意図はありません)、できるだけこういう場所に書きあっていければと思う。

"nCk" は、組合せ、すなわち相異なる幾つかの要素の集まりから幾つかの要素を重複無く選び出す方法を示す数学記号であり、数学A*4、つまり高校一年生のカリキュラムで学習する内容である。"4C2" は「4つの相異なるものから2つの要素を選ぶ方法の数」であり、これを使ってノクチルの幼馴染四人組から二人組を作ることを示したいという意図があった。また、小糸はほかの三人と別の中学に通っており、(そこはおそらく中高一貫校であったために*5)学習カリキュラムが先に進んでいて、高校一年生の小糸は同じ内容を再度学習していることが、W.I.N.G. のコミュで明示されている。ということで、小糸にとって、通常高校一年時にある数学Aの組み合わせ論の学習は二周目ということになる。これらを前提としたうえで、中学時代の小糸と、現在の小糸は、同じ組み合わせ論の学習をどのように見るだろうか?というのが作歌の動機である。正直それ以上でも以下でもないというところだが、中三から高一にかけての小糸の変化はかなり想像の余地のある部分だと考えていて、ここの掘り下げができたら楽しいと思う。

ちなみに、「大げさな記号」とはnCkを計算するにあたって用いる、階乗を示す記号(!)を指している。実際大した計算はしないので、小糸の感性なら、こういう感じ方になるんじゃないかな、と想像した次第。4C2は「よんしーに」でも「フォーシーツー」でもどちらでも音的には嵌るうえ、どちらも読み方として聞いたことがあるので、敢えてルビなしとした。

 

<5>

伸ばす手が翳りとともに知ってゆく あなたの光、わたしの灯 / 風野灯織

 

前回のプロト歌会に提出したもの。

モチーフはお題に沿ってイラスト、【伸ばす手に乗せるのは】と【宝石色のしおり】であり、その裏には彼女のソロ曲である『スローモーション』がある。別途要点となる歌詞をイラストの下に引用する。なお、歌会ではイラストをモチーフとして開示したものの、モチーフ数が過剰になると思い『スローモーション』には触れなかった。

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【伸ばす手に乗せるのは】

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【宝石色のしおり】

いや~~~もうどちらも最高のイラストですね~~~。

もう何も言うことはありません。言うとすべてが蛇足になります。勝手な解釈ですが、この二枚は色味が似ている気がするので、表裏一体で考えてもいいんじゃないかと思ってます。

次は『スローモーション』の歌詞を引用する。

初めての私になっていく

あの日から 少しずつ

キミの心を明るくする

小さな灯(あか)りになれたらいいな

退屈だった日々 忘れて

振り返れば こんなに遠くまで来てたんだね

一人で平気だと思ってたよ

でも最近じゃ 帰り道すら 寂しくなるの

見守っていてくれたんだよね

最初から ずっとずっと

だから私は来られたんだ ここまで

ヒカリを追いかけていた

 

本当にザックリとした補足をすると、【伸ばす手に乗せるのは】のコミュは、プロデューサーが灯織の変化と成長を実感する内容であり、【宝石色のしおり】は、これが配布されたシナリオイベント『くもりガラスの銀曜日』と併せて、イルミネーションスターズのメンバーの間でお互いの出会った頃のこと、これまでの足跡を振り返りながらよりお互いのことを知っていく、だけどまだまだ知らないこともあるからもっと知っていきたいね、とする内容である(要約するとマジでよさが1mmも伝わらねえ)。

ということで以上を踏まえ、「伸ばす手が」の部分で灯織の変化と成長、一部分の言い換えとしては、他者のことをより深く知りたいと思い、関係を築こうとすることを伝えたかった。『スローモーション』の歌詞を踏まえ、「あなたの光」はイルミネーションスターズの仲間である真乃とめぐるのこと、「わたしの灯」は灯織自身のことである。彼女が変化するにつれ、イルミネーションスターズの仲間のことを知るとともに、灯織自身のことも知っていく、つまり誰かの心を明るくする存在になりたいと願うことを自覚する、というのが意味の上では骨子となる。

「翳りとともに」の部分は、他者や自己のことを知るという行為は決して明るい部分だけではないことを示している。具体的に言えば、『Catch the Shiny Tail』における真乃の悩みや、『star n dew by me』で描かれためぐるの極めて繊細な部分のことを意図しており、それらも含めて彼女たちを大切にしたい、という灯織の姿勢である。同時に、『スローモーション』の「一人で平気だと思ってたよ でも最近じゃ 帰り道すら 寂しくなるの」の箇所に表れている通り、誰かと共に在ることを通じて、これまで感じていなかったような孤独を感じるようになった灯織の心の動きも、その中にはあると思う。ちなみに「翳り」「光」「灯」は押韻も意識している。「翳り」というマイナスイメージを伴う言葉を入れるかどうかは最後まで悩んだが、伸ばした手の動きのイメージと、この押韻を加味してそのままとした。

まあ、正直ご理解の通り灯織担当としての想いが迸りすぎてしまいなんだか全体としては詰め込みすぎの消化不良、短歌としてはどうなんだ?という形になってしまったが、今回のような言いたいことが多すぎて文字数が全く足りない場合や、説明に終始して詩情も何もあったもんじゃなくなってしまう場合の昇華の仕方は今後の課題とする。

 

完全に蛇足だが、引用した『スローモーション』の歌詞は、灯織目線では Mr. Children の曲である『NOT FOUND』の「自分だって思ってた人格(ひと)が また違う顔を見せるよ ねぇ それって君のせいかなぁ」という歌詞に重なる部分がある気がする。こういうのに本当に弱い。プロデューサーの「おすすめ」の曲*6の中にこの曲が入っていたら?というような妄想も楽しい。

 

以上、最近作った五首の、ほとんど自己満足のような補足説明でした。毎回本当に楽しくやらせていただいてます。振り返ってみてなんだかどれも「リクツ」で作りすぎな気がしてならないので、次回はもっとフィーリングに寄せてみようかと思ってます。

 

 

*1:こいついつも【シュカのまにまに】の話してんな

*2:小糸や果穂に対するそれと重なる部分があるとは思いませんか?

*3:あとあさひも?これはちょっと分からない

*4:いまでもこうやって言うんですかね?

*5:自身の経験に基づけば、中高一貫校は中学の二年間で中学の学習範囲を終え、三年時に高校一年の学習内容を先取りする

*6:朝コミュ参照

09/10/2021: シャニマス短歌

つい1か月と少し前に手を出したばかりだが、シャニマス短歌がおもしろい。そもそもとして偏執的なまでにプレイヤーにテキストを「読ませる」ことに特化したシャニマスというゲームには、豊穣すぎるほどに想像と洞察の余地がある。言おうと思えば幾らでも言いたいことが出てくるようなその肥えた大地から、絞りに絞った文字数で拙いながらに伝えたいことを表現するという行為が、何かあれば言葉に頼る我々のような人間にとって、考えてみればおもしろくないはずがない。世の中の些事を忘れ、その世界のことのみを頭に浮かべ、ある決められた形に落とし込んでいく時間を至福と呼ばずに何と呼ぼうか。

 

さて、幸いなことにこの同好の士は多く、またそのうち幾許かの人々が自身の作ったものを振り返るブログやら場所を持っていることに触発され、自分もそのときにどういうことを考えていたか記録したい衝動に苛まれたので、ここで似たようなことをしたいと思う。嘘、自分の考えたことを自分勝手にくっちゃべることはめちゃくちゃ気持ちがいいことに気付いたのでやってみようと思っただけ。この年にもなると、恥とか自意識とかの、かつて掃いて捨てるほど持っていたそれらが嘘のように薄れていき、なんだったら会社の後輩にかますよりかは電子の海に放つ方が100倍マシだろうという開き直りさえ生まれてきた。という訳で手始めとして、(感想を頂いた人の反響は申し訳なくも別にして)自分が気に入っている以下6首に関してやってみようと思う。

 

1.青春と朱夏のあわいが融ける夜レモンアイスに祭火揺れる/八宮めぐる

2.銀色の刃を夜半に研くとき下弦の月は玻璃の耀き/緋田美琴

3.思うより密度のあるその弾丸が俺のハートに中ったサンデー/園田智代子

4.アカとアオけして交ざらぬなんてウソ捕まえてみて紫焔いまだけ/田中摩美々

5.第三回お泊り会の夕餉前手に取るトマトが違って花笑む/イルミネーションスターズ

6.中華鍋ふところ深くあるゆえにあいを分け合うさだめの者よ/月岡恋鐘

 

<1>

青春と朱夏のあわいが融ける夜レモンアイスに祭火揺れる/八宮めぐる

 

初参加の歌会で入賞させて頂いたもの。一部の方には激賞頂き大変ありがたかったです。

下敷きはもちろん、言葉を借りている通り『シュカのまにまに』なのだが、このカードにあるコミュでは別にお祭りでアイスを食べる描写はなく、めぐるのコミュを全体的に参照して作っている。この点はもうめぐるの各コミュを読んでいる人向けでしかないのだが、めぐるのコミュの多くに通底する、シャニP視点での青春への懐古と憧憬、めぐるを触媒として思い起こされる(俺にはない)青春の思い出的なものや、二人の言葉や間の作り方から醸成される雰囲気というのがとても好きで、これを自分の表現で再現できないか、というのが動機。普段自身とアイドルたちの間には、彼女らに寄り添うもののなんだかんだ一線を引いているシャニPも、めぐると関わっているときには(自身の心中で)それを少し緩めているような気がしていて、特に『小さな夜のトロイメライ』ではそれが顕著である。その感覚を前半、青春と朱夏の対比でやや硬めに出した後、それがほどけて後半の世界が揺らめく情景へと比較的スムーズに持っていくことができたと感じており、自分としては成功の部類に入ると思う。

歌会では青春、朱夏、レモンアイスの青赤黄色の色彩が揃っていて良い、と評して頂いたのだが、実はこれは結果オーライであって、青春/朱夏は意味内容(若者の時代と、その後)から入っていて色のイメージはあまり持っておらず、どちらかと言うとレモンアイスと祭火(提灯が出す光多めの赤色)の想定だったが、言われてみればそうだなと思った。人に読んでもらう効用の一つだと思うし、今後は色彩にも気を遣って作っていければいいと感じた。

 

<2>

銀色の刃を夜半に研くとき下弦の月は玻璃の耀き/緋田美琴

 

確かこのときのお題は月だったはず。個人的に緋田美琴には下弦の月のイメージが付きまとっていたので、お題を聞いたときにこの骨子で行こうと思った(当時ルールを知らなかったので歌会には提出できなかったが……)。下弦の月から連想される、いずれ消えていく運命を知る者に宿る美しさと切実さ。彼女の場合はそこに大きな危うさも孕んでおり、これをどう表現するか苦心した。そもそも「下弦の月」という言葉にやや手垢が付きすぎている感覚があった上に、やや直接的すぎないか?という疑念もあったので、他の言い方を模索したがなかなかうまくいかなかった。こういう言葉の距離感というかグリップ感(伝われ)ってどの辺りがイイ感じなのか分かっていないし、そもそもの選択肢となる語彙力もあまり足りていないと思うので勉強っす。一応 "De-Crescent" って使えるかなと思ったものの、結局下手な句跨りにならざるを得ず断念した。前半部分では身を削って夜な夜な鍛錬に励む彼女を、後半部分ではその危うさと儚さを表現したいと思っていて、締めの「耀き」はSHHisのキャッチコピーである「耀いて、スパンコール・シャンデリア」から引っ張ってきている。言葉遣いが大袈裟というかちょっと芝居がかっているのはそれも緋田美琴っぽいか、ということで意図的にやった。皆様に伝わっているかはわからないが。

ちなみに個人的な参照元としては、柴咲コウの『甘いさきくさ。』の以下の一節がある。「背を向ける三日月」とは恐らく二十六夜月のことであり、消えていく存在としての月に思いを馳せる心象はここからきている。

 

背を向ける三日月は だまされる安心に気づいてしまった だからそっぽ向くのだろう

 

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思うより密度のあるその弾丸が俺のハートに中ったサンデー/園田智代子

 

言いたいことがうまく伝わらなかったのか、自分としては気に入っている割に読んでくださった方々から反響がなかったもの(別に全然大丈夫なのですが)。「普通」を自称する園田智代子の意外性、例えばかなりの戦略家であり、案外理屈っぽかったり、ここ一番での精神面での強さがあったり等々、そういうところに気が付いて知らぬ間に彼女のことを好きになってしまっていることをファンの視点から表したかった。弾丸は銀でコーティングされていてチョコレートへの連想もなくもないかな、ということで「思うより密度のあるその弾丸」としたが、ここはもっといい表現、というより明確にそれと伝わる言い方がほかにがあったかなと思う。「サンデー」は彼女のソロ曲である『チョコデート・サンデー』から拝借している。正直手を抜いた。

自分としても園田智代子はゲーム開始時には全くと言っていいほどノーマークだったのだが、もはや見逃せない存在になっている。これは妄想だけど、園田智代子ファンボーイズの一人称は「俺」が多数派かつちょっと公言するの恥ずかしいなみたいなところがあるんじゃないかと思っている。クラスメイトなんて特に。

 

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アカとアオけして交ざらぬなんてウソ捕まえてみて紫焔いまだけ/田中摩美々

 

摩美々の本質的な個性のひとつである二面性(めっちゃくちゃザックリ言うと、悪い子/良い子の側面)と、一筋縄ではいかない感じを、何とか彼女の外形的な個性に結び付けた比喩にできないかと思って作成。紫って赤と青からですよねっていう小学生みたいな発想から出発した割に、思いのほか丸く収まってくれたので正直かなり気に入っている。とは言え、内容や表現はかなり『誰ソ彼アイデンティティー』に依存してしまっているので、また違う角度と表現でこの主題には挑戦したいと思う。

当初は、赤・青・嘘を全て漢字にしていたが、前半から後半への切り返しのためにカタカナで統一するように変更し、その観点で後半では「炎」ではなく「焔」を使っている。摩美々の強さというか、モチベーションの発生を炎で表すのが果たして最善手なのかというのはまだ検討の余地があるし、そこが次作のとっかかりかもしれない。あとは「斜め」とか「夜」とかのキーワードからの連想か。いや~でも『誰ソ彼アイデンティティー』の完成度が高すぎて我々にはもうすることない説がある…… この曲はシャニソロ曲の中で多分一番好き。

 

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第三回お泊り会の夕餉前手に取るトマトが違って花笑む/イルミネーションスターズ

 

イルミネーションスターズのお泊り会が少なくとも39回は開催されているという事実は相当ヤバい(『青のReflection』より)。ヤバいが、それはそれとして開催初期の感じってどんなんだったんだろう、という疑問が出発点。多分、最初にやろうって言い出したのはめぐるで、その流れと、かつ家庭もそういった行事にオープンだということもあり初回は八宮家だろう。当初は恐らく今ほどにユニットとしての仕事が多かった訳ではなく、日程は灯織の家庭内調整を除けばスムーズに決まったと思われる。夕飯はめぐるのご両親がご馳走を用意してくれていたのではないだろうか。初回があまりにも楽しかったので早速来週もやりたいということになり、真乃と灯織は連続して八宮家で開催させてもらうのは流石にどうか、と思う一方で、友達を家に泊まりで招いた経験もないため少々戸惑うが、ここで前に出ることができるのは結成初期の状況を想像すれば真乃だろう。かくして櫻木家で第二回が開催され、第三回は満を持して風野家、以降このローテーションが突発的事態を除いて確立されることとなる(ホントか?)。櫻木家の描写が本作では意外にも乏しいので難しいが、櫻木家に畳の敷かれた客間があったなら私は嬉しい。三人で畳に布団を敷いて寝てその新鮮さに驚いていたりしてほしい。夕食も八宮家と比較すると和食寄りで、食材や調理方法に関して真乃の母親に色々と質問をしたりしながらわいわいとした食卓になるのだろう。そうした経緯を踏まえての第三回@風野家である。ここまですべてが妄想だが正直掴み切れていない実感がある。健全な女学生たちのお泊り会の解像度って何したら上がりますか?

きっと灯織は、どうしたら成功した過去二回の会のようにできるだろうかと色々思案するだろう。彼女の両親は平日仕事が忙しく、帰りが遅いことが示唆されているので、休日は両親の貴重な休息を邪魔してしまうという彼女の配慮から、金曜のレッスン後、またはその日がオフであれば放課後に開催されたのかもしれない。料理は灯織が得意なこともあり、自分が二人をもてなしたいと言い、それが自分が二人に対して出来ることだと主張するだろうが、まあ当然三人でやろうという流れになり説得され、夕暮れ時に買い物に出かける。そうしてようやくこの歌の始まりにたどり着く訳です。ちなみに灯織の粉物マスター伝説もここから始まったと私は睨んでいる。

「夕」というお題からここまで割と真っすぐ来てしまい前半はすぐに固まったが、悩んだのは後半で、灯織が買い物に慣れている様子や、イルミネのイベコミュで度々主題になっている「お互いの違い/知らないところを、知っていく/理解しあっていく喜び」みたいなものをうまく表現できればいいなと思って現状に落ち着いたが、特に「花笑む」はめぐるのサポートカードからそのまま拝借した上に、トマトという選択もそうだが、この単語でなければいけないという必然性を欠くため、まだ改善の余地があった、というか肝心なところで手を抜いてしまったなと感じている。

 

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中華鍋ふところ深くあるゆえにあいを分け合うさだめの者よ/月岡恋鐘

 

『アイムベリーベリーソーリー』を読んで衝動的に作ったもの。同作は構成の複雑さや、突き抜けない筋立てのせいか、見る限りネット上ではそこまで反響がある訳ではないようだが、個人的には五指に入る出来だと思う。そこで受けた感動をそのままに、他のコミュでも再三語られている、恋鐘が持つ生まれつきのアイドル性をどうにか比喩に組み込めないかと考えていた。で、そういえば中華鍋って一人用のメシを作るためには絶対使わないよな、と思い立ち半ば強引に結び付けてしまった。正直アイドルを中華鍋に例えるのってどうなんですかと思わなくもないが、まあこがたんだし、らしくていいでしょと思っている。「さだめ」は「運命」を使うと深刻さが出てしまう一方で、「定め」だと味気ないし堅すぎる気がしたのでやむを得ず開いた。どうにか彼女のナチュラルボーンアイドルネス(英語正しいですか?)を「さだめ」とかの直接的な言葉を使わずに表現できれば、と悩んでいたが結局思いつかなかったというのが正直なところ。あとは、「ふところ」「ゆえに」「あい」といったように漢字を開きまくっているので、ここら辺のバランス調整もこれでよかったのだろうかという反省がある。

 

以上今回はこんな感じ。

振り返ってみると、お題から連想ゲームを行って描きたいシチュエーションや主題を想像し、それを文字に落とし込んでいく、というアプローチが大半な訳だが、ほかの人を見ているともちろん違うアプローチがあり、またこの手法に依存しているとどうしても既存のコミュの内側でしか歌を作れず、本来目指す境地には至れないと思っているので、積極的にほかの人のアプローチを学び取っていきたい。あとは、元ネタがある言葉に軽々しく乗っかりがちなのも我慢しないといけない。

06/06/2021: おぼえていますか

おそらく、あなたも私も、小学校に1,000回以上は通っただろう。私は中高一貫の学校に通っていたので、私について言えば、中高に関しても同様だろう。しかし、途中の転校などの事情は置いておいて、1,000回も同じ空間に居合わせながら、顔と名前が一致しない人、卒業してから一度もその人のことを思い出していない人が、誰にでもきっといる。思い出すことさえもままならない彼らを、それ以外の人々と分かつものは何なのだろうか。決してそりが合わなかったという話ではないはずで、何故ならそりが合わなかったのならそりが合わなかった人間として記憶される。とんでもなく無口で、自己主張に乏しい人たちのことだって私は覚えているのに、彼らがどういう風に生まれてくるのかは不思議ですらある。ほぼ同じ時代、ほぼ同じ場所に生まれ、奇跡などという言葉では物足りないような確率で同じ環境を共有し、神がそこまでお膳立てしてくれたのに、いともたやすくそれをフイにする我々。考えるまでもなく、こんなことが毎時毎分起こっている。神が用意した据え膳を食ってやる義理はどこにもないけれど、我々の怠惰なのか何なのか、あらゆる物事の可能性は常に潰え、常に再生している。どんなに手を尽くしても、すべての可能性の先を目撃することはできないし、その可能性が我々にとって有益なものである、あるいはそれがなにかをもたらすものである保証はどこにもなくて、悔やむ必要もない。ただただ、残骸がそこら中に転がるという現象があるだけ。あなたがたは私のことを覚えているだろうか。

 

一方で、一生に一度、それも数時間しか会っていないのに、忘れられていない人たちがいる。この間、そういう人の夢を見た。その人は確か、当時同じ大学の哲学科の院生で、やむなく仕事を探していたのだと思う。多分私はその頃、学部の2年生か3年生で、何となく霞が関で働くことを考えていたはずだ。その人とは、とある主要官庁の説明会兼座談会のようなもので一緒になった。いわゆる就職イベントとしては特に目立った何かというわけではなく、学校近くの喫茶店のような場所の一部を借りて、仕事の話を聞かせてもらうような催しだったと思う。ようなようなと繰り返していることから分かる通り、もはやそちらの方の内容は何も覚えていない。帰りの電車の中、イベントに集まっていた10人弱の学生は車両内のバラバラの位置に別れて、その人は私の隣で吊革を掴んでいた。突然、「どうだったよ?」と訊かれた。つい、その軽い問いかけに対して、無防備に「つまんなかったっすね」と、こちらも軽く返してしまった。すると同意が返ってきた。もう一つ、彼は、複数の学生たちが、ある別の学生を軽侮していたような雰囲気を感じていたと言った。私はなんとなくそんな雰囲気を感じていたものの、そこまで確信のあるものではなかったので「そうかもしれないですね」だったか、なんにせよ曖昧な言葉を返した。それでも、私がそういう雰囲気を感じていたのは既に気取られていたようだった。そうして私たちは下北沢駅で降車し、安い海鮮居酒屋で焼酎をあおっていた。覚えていた話題としては、不意に漏れ出す他人の他人に対する軽侮を察知してしまうと心が荒むだとか、井上陽水の書く歌詞は何を言っているのか全く分からないが、生活のふとした瞬間に何を言わんとしているか何となく分かる瞬間があるような気がして怖くなるだとか、したくもない仕事を求めることのどうしようもなさだとか。あと、JR東海飯田線下山村駅伊那上郷駅の間は急勾配のため、かなり迂回したルートになっているため、いったん片方の駅で降車し、他方の駅までの間を走り同じ電車に再度乗るという、「下山ダッシュ」なる、何が目的なのかよくわからない行為の存在を知らされた。多分、機動警察パトレイバーの話題から、その作者であるゆうきまさみの話になったか何かだったと思う。ちなみに、私は同年の休暇中に実際にこの下山ダッシュを敢行した。彼は別れ際に「君は生き辛い人間だと思うけれど、お互い死なないように生きよう」といったようなことだけを言い残してどこかに行ってしまった。私は、(そしておそらく彼も)連絡先を交換するのも違うだろうと思い、それきりである。だから何だという話だが、その人がそれからどうなったのかは、夢を見てしまったがゆえに少し気になる。

他にも、思い返してみれば、高知県足摺岬に一人で旅行に行き、岬から星を眺めていたら、大型犬を散歩に連れた老婦人が話しかけてきて、なんだかんだ身の上を話してしまったら「故郷のためになにかをしたいと心から思わない限りは、そこに帰るべきではない」だったか、そんなことを言われた記憶がある。こんなふうに何かを言われたわけではないが、人生で数時間、あるいはそれ未満しか時間を共にしていないにも関わらず、忘れられていない人がいる。それでも、彼らはおそらく私のことを覚えていないだろう。

 

本稿をどうやって〆たらいいのかわからないので、『愛・おぼえていますか』を置いておく。

 

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おぼえていますか 目と目が会った時を

おぼえていますか 手と手が触れ合った時

それは初めての 愛の旅立ちでした

I love you, so 

 

この曲は、カバー版である「中川かのん starring 東山奈央 version」 もかなりいい。リンクを貼ったらなんだかよろしくない気がするので、各自なんらかの手段で視聴願います。俺はCDを持っているので何をしても正しい。収録CDである『「神のみぞ知るセカイ」キャラクター・カバーALBUM~選曲:若木民喜』はアニソン界きっての名盤なのでぜひ聴いて頂きたい。アラサー垂涎の楽曲・声優陣が最高のパフォーマンスを見せてくれるぞ。いまなら初回限定版の新品が14,800円だ!

 

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