自由帳

Ask perfection of a quite imperfect world.

25/09/2022: シャニマス短歌22年9月号 - 解題

今回の第十二回歌会は部分参加となってしまったこともあり、以下に解題を記す。提出内容は下記。題字は順に、『服』『十』『秋』『酔』の四字。


おとなりの服部君は忍者でも探偵でもないんだけど、親切 / 浅倉透

クレヨンを幾重に塗った十和田湖の青にたゆたう神の魚(いお)ども / 幽谷霧子

秋葉原駅電気街口 感傷が笑っちゃうほど似合わないのね / 黛冬優子

こんど会うとき見せよっか ジャッキーと特訓したんだガチの酔拳 / 浅倉透

 

総論として、自分にとってこれらの題字はかなり難しいと感じていた。例えば『服』に関して言えば、自分は服飾に全く興味のない人間なので文字通りの服に関する歌は作れないだろうと思ったし、『秋』をそのまま季節として使うのは相当扱いが上手いか、内容を練り込まないと平凡な内容になってしまう可能性が高い。『酔』にしてもお酒を飲めるキャラクターは限られる中で着想が被ってしまう恐れがあるな*1、等と思っていた。よって具体的に歌の内容を考え始める前に、固有名詞を使うという縛りをかけて、そこから主体や情景を選んでいく順序とした。これは自分としてはあまりやったことのないアプローチであったが、結果的に考える方向性が絞れ、諸々忙しかった中で効率よく歌が作れた気がするので良かったかもしれない*2。一方で、お題に正面から取り組んでいないことを指摘されれば、ただ平伏するしかないのだが*3。以下各論に入る。

 

 

おとなりの服部君は忍者でも探偵でもないんだけど、親切 / 浅倉透

 

一番最初の題字であるが、完成したのは一番最後である。『服』を用いた固有名詞がどうしても思い浮かばず、さりとて衣服に絡めてなにかを言えそうな気もせず、半分おふざけでもいいから人名の「服部」を置いたうえでどう動かすかを考えた*4。そうは言っても、「服部」という苗字には読み方にやはり特徴があるのと、特定のキャラクターを想起させることから、一般的な苗字とは少し趣が異なるだろうと思い、その辺りを起点にしようとした。「服部」から例のキャラクターを想起してくれそうな主体としては、三峰、果穂、凛世、甜花、愛依、透あたりかなと想像し*5、あとは彼=服部君に対して何か詩情のありそうなことを思っていそうな主体として良さそうなのは透かな、と思い至った。透を主体に選んだ段階で、彼女がいわゆる「一般的な人間」に関わるときに見られる特徴として、「普通の人間の、平凡なところを、素朴に称えることができる」ことがあったなと思い出し、そこまで来ればあとは形を整えるだけだった*6。具体的に言えば、隣席の服部君はその名に反して別に特別な存在ではないが、彼の平凡な親切さを浅倉透はしっかりと見ており、感じている、というのが歌を通じて言いたいことかなと思う。結句は彼女らしくちょっとズッコケてしまうくらい凡庸な言葉で締めた方がキャラクターの解釈に適合するなと思い、また「んだけど」と字余りの口語体にすることで大したこともないのに少々勿体ぶった印象と、歌を彼女の語りとして聞かせる効果を狙った。

 

 

クレヨンを幾重に塗った十和田湖の青にたゆたう神の魚(いお)ども / 幽谷霧子

 

個人的にはこれが一番のお気に入り。『十』の付く固有名詞として十和田湖を思い付き、そうすると主体は幽谷霧子しかないと思った。そして彼女が、神の棲む湖とも言われる十和田湖を初めて訪れたとき、どのようなことが起こり、なにを感じただろうか、と想像を巡らせてみた。情景としては幼稚園、あるいは小学校低学年時の彼女が、写生大会のために初めて十和田湖を訪れたというもの。冒頭の「クレヨン」でそれが伝わってくれればと祈るばかりである。私も旅行で訪れたことがあるが、十和田湖は大変美しい湖である。いま以上に感受性が豊かであっただろう幼少期の幽谷霧子が、その美しさに心を打たれたことは想像に難くない。その美しさを表現するには単色のクレヨンでは到底足りず、いろんな色を混ぜて本当の湖の色に近づけようときっとしただろう。また、絵を描いている場所からは見えなかったであろう湖底の魚に思いを馳せたり、湖を取り囲む言い知れぬ神聖さを感じたこともあっただろうと想像した。全体を貫くテーマとしては、言葉にできないもの、人間には表現しきれないもの、見えないけれど確かに存在していそうなもの、そういうものに触れた、幽谷霧子の原体験的な出来事の一つに十和田湖があってもいいんじゃないか、というところかと思う。

結句の「魚」の読みを「いお」にし、また「魚たち」ではなく「魚ども」にしたのは、そちらの方が「神」との単語としての親和性が高そうだなと思ったのと、単純に全体を通して読んだ時の響きが良いかなと思ったのが理由。恥ずかしながら歌集を読むようになって初めてこの読み方を知った。ちなみに、読む会で指摘されていた「十和田湖にはもともと魚はいなかった」という事実を私は知らなかった。90年代には既にヒメマスの養殖が完了していたため、舞台設定に矛盾を来さないからいいものの、こういう事実関係はちゃんと調べておかないとなと反省した。また、最新のpSSRも湖が関係しそうだが、引いては見たもののまだ読めていない。反省その2。

 

 

秋葉原駅電気街口 感傷が笑っちゃうほど似合わないのね / 黛冬優子

 

唯一入賞を果たした一首。ありがとうございました。これに関しては歌会の中で話をさせて頂いたのでさして語ることもないが、黛冬優子にとって、様々なことがあったときの心の拠り所、つくばエクスプレスへの乗り換えで「一人になる場所」、そしてアイドルになるスカウトをされた場所、として大きな意味を持つであろう秋葉原という場所が、感傷を抱くにはあまりにも相応しくない場所*7であることを、自分らしいと自嘲気味に独り言ちる彼女を想像した。別の言い方にすれば、「感傷が笑っちゃうほど似合わない」のは、秋葉原という街だけではなく、常に前進し勝ち続けることを宿命付けられたアイドル黛冬優子にも言えることだ(=それって私らしいじゃない?)*8、というのが趣旨となる。これも十和田湖の歌に近い感じで先に「秋葉原」が固有名詞として出てきて、それでは主体は黛冬優子だろうと決まった。そして秋葉原という地名を使うには、それ単体では間口が広すぎるように感じ、より具体性が高い方がよいだろうということで「電気街口」までが固まって、さあ後はどうするか、という順序で考えた。

黛冬優子が秋葉原でストレイライトの広告を見かけて自身のアイドルとしての始まりを回顧する、というプロットは早々に思い付いたものの、なかなか形にするのが難しかった。結果、「感傷」という言葉をそのまま使うことには抵抗があったが「秋葉原駅電気街口」で14音も使ってしまっているので、残りの部分は私の技量と相談するとシンプルな形にせざるを得ず、またここで比喩を使っても猶更分かりにくくなるし、何より冬優子の語りにしないと実感が薄れるなと思ってこの形に落ち着いた。地名に大きく重心を置くのは、ディテールが上手く伝わらない方も当然いらっしゃる訳*9でちょっとした賭けであったが、今回は成功したように思う。あと初句七音をやったのも地味に初めてかもしれない。この場所の、風情のなさ、足早に通り過ぎていく感じが出てくれればと願って初句に持ってきたのだが、効果のほどはいかに。

 

 

こんど会うとき見せよっか ジャッキーと特訓したんだガチの酔拳 / 浅倉透

 

明らかに「酔拳」から入った歌。部長にナイスチャレンジ賞を頂いた。被ったらおしまいだな!ガハハ!と思っていたけど、幸いそうはならなかった。

酔拳に関わりがありそうな283プロアイドルは浅倉透をおいて他にいない。風野灯織が無理やりやらされていたらめちゃくちゃ面白いと思うがそれは別の話。景(景って言っていいのか?)としては、なんの因果か『ドランクモンキー 酔拳』(主演:ジャッキー・チェン、日本公開:1979年)*10を観た映画好きの彼女が、シャニPとの別れ際に放つ台詞としてこの歌があるという想定*11

この映画でジャッキー・チェンは、師匠についた修行の結果酔拳を会得し、悪役を打ち破るのだが、この過程はなんとなく【かっとばし党の逆襲】のコミュを想起させる。このコメディタッチでありながら熱いスポ根映画に感化された浅倉透は、修行シーンを繰り返し再生して、見様見真似の酔拳を例の部屋の中でやってみる。何回も観るうちにジャッキー・チェンがまるで友達のように思えてきて、「ジャッキーと特訓したんだ」というフレーズが彼女の口から自然に出てくるようになってしまったことや、「見せよっか」「ガチの」などと、頼んでもいないのに何故かちょっと得意げな浅倉透を想像するとかなり面白いし、キャラクターの雰囲気に合って生きている感じがするなと自分では思った。もしもこの可笑しさが伝わっていたら幸いに思う。

 

 

最後に。今回は入賞一首だったが総合三位に滑り込んだ。得票の詳細を見てみると何れの歌も四~五位には入っており、また気になると言って下さった方も多いようで、大変ありがたかった。この解題が皆さんの興味に適うものであれば嬉しい。一方で、作ったり解題を書いたりするのは楽しかったものの、やはりお題に正面から向き合ったものではないこともあって一位票を多数集める歌が作れなかったのが心残りであり、次回以降はもっと「文句なし」で良いと思えるような歌を作れたら、と思う。

 

 

*1:被った結果として得点がどうのこうのというよりは、多くの詠草が並ぶ中で多様な視点があった方が会として面白くなるだろう、またこの方向性は別に俺がやらなくても誰かがやってくれるだろう、という感覚があった。

*2:作歌に効率性を求めるな!

*3:実際、主席を取られた方は羨ましいくらいに正統派の取り組みであった。悪が栄えた例なし。

*4:言うまでもなく、例の「吉田」のパクリである。訴えられたら負ける。

*5:諸説あり。皆さんのご意見待ってます。

*6:私は浅倉透のこういうところが好きなんだなと思いがけず再認識した。彼女の人たらし力はこういう表現に言い換えることもできるんじゃないかと思う。「浅倉透は見た目じゃなくて中身なんだよ、わかるか?」などという限界オタクの戯言が喉まで出かかっている。

*7:四方八方からアニメ声の広告が大音量で流れてくる、すさまじい勢いで店が潰れては新規開店する、やさぐれたメイド服の女性が客引きをする、なんかやたらやかましいオタクがいる、等々行ってみれば分かる風情のなさがある。そういえば最近、とらのあなが閉店になりましたね。

*8:黛冬優子のこういう角度のナルシシズムが私はかなり好き。超かっこいいぜ!

*9:在京者の傲慢か? でも十和田湖も使っているしまあ許されるでしょう。これが麻布とか神楽坂とか中目黒とかから更に一レイヤー下げた地名、あるいは特定の学生街の地名とかだとヤラシイ(麻布とかのレイヤーで留まってるなら逆にダサくてかわいい)。そういう場所に入り浸っている人々は短歌とかやらなそうですが……

*10:ドランクモンキー 酔拳 - Wikipedia

*11:何故シャニPなのか? ノクチルの面々であればおそらく「まーたうちのカシラがバカなこと言い出しとるわ、ほっとこほっとこ」となるだけ、というのもあるが、主にこれは私の妄想と欲望に裏打ちされている。以下読み飛ばし推奨。

 

 

 

有り体に言ってしまえば、映画に影響されて脈絡なく、お前に酔拳を披露するぞ! と言ってくる彼女(当然、恋人という意味ですよ)って超可愛くないですか??? 最高じゃね??? というのが根本にあります。別れ際にこんなことを言われたら、次に会うのが楽しみでしょうがなくなってしまうじゃないですか。そういう観点で、さらっと読めてしまう「こんど会うとき見せよっか」に、下の句よりも断然重い意味を私は込めています。その酔拳、俺以外の人間に見せないでくれよ、頼むから。モテる女子は取り敢えず酔拳かましてくる、これは間違いないと思われます。だが浅倉透は俺の彼女ではない。