自由帳

Ask perfection of a quite imperfect world.

17/06/2022: シャニマス短歌22年6月号 - 解題

次回(6月18日開催)には参加できないため解題を記す。提出内容及び没案は以下。

 

涙さえ刈り尽くされた荒野にも救いの種を蒔くヒトの罪 / SHHis

暗闇を拓く勇気をくれるらしい姉の深紅の御守刀 / 和泉愛依

(没案: 六月のヴェールの彼方で幸福に塗り潰される君のくちびる / 樋口円香 浅倉透)

値引かれた絵画の青い鳥、君は 飛ぼうとしたの? 解っていたの? / 七草にちか

関内のスーパースターに憧れてスローカーブを下からすくう / 西城樹里 浅倉透

 

ユニット指定部門:SHHis

涙さえ刈り尽くされた荒野にも救いの種を蒔くヒトの罪 / SHHis

 

『モノラルダイアローグス』を引くまでもなく、両メンバーが様々な面で、特に精神面で深刻な危機にあるSHHisの現在。プロデューサーが施した処置にも表れている通り、この辛苦から彼女らが脱し、そして救い、あるいは幸福に至るためには、彼女らは自分自身を直視することで、もしかしたら今以上に苦しい局面を迎えなければならないかもしれない。完全に絶望に閉ざされていればひたすらに目を閉じて過ごすこともできようが、救いが微かに見えてしまうからこそ、それを追いかけてしまう責務・強迫観念が生じてしまうとも言えるかもしれない。

しかし、彼女らの現在に変更を加えようとする「彼」、「ファン」であるあの世界の人間、「観客」である我々、あるいは彼女たちの物語を描いている「こちらの世界の人々」は、心のどこかでそれを、彼女らが苦しみながら救いの種を掴んでいく様を望んでいるのではないか? そしてそうした我々の在り方はある種の罪ではないのか? という個人的心情がこの歌の出発点。例えば、「にちかに幸せになってほしい」と言って憚らないプロデューサー、そしてそれに同調する我々の多くにとって、その言葉が仮に曇りなき本心であったとしても、救いをちらつかせ、彼女らに一層の負担を強いかねないその態度が、果たして罪でないと言い切れるだろうか。SHHisの物語はそうした観点も投げかけているように私は感じる。

短歌としては、「涙さえ刈り尽くされた荒野」が読みどころのつもり。もはやSHHisには涙を流す時間も、感情も残されていないのだろうと私は思っていて、これを表現できていれば幸いに思う。「種」は安直ながらSHHis (Seeds) から引っ張ってきており、原案では「幸福の種」と使えれば、と思っていたが、音数が嵌らないので「救いの種」としたものの、どちらが良かったのかは分からない。「ヒト」の片仮名は、上述のような人間の在り方を人類総体としての動物的欲望と見てのもの。全体的な言葉選びはSHHisの世界観に即して硬めの言葉を中心にした。

 

テーマ指定部門:口紅

暗闇を拓く勇気をくれるらしい姉の深紅の御守刀 / 和泉愛依

 

自分は口紅のことは何も分からないので、分からない主体の目線を取ろうと思った。プロデューサーでは陳腐、かつ彼は結構色々知ってそうなので外し、キャラクターの男性兄弟はアリかなと思った。和泉愛依の弟は存在が明言されており、コミュにも登場するのでよさそう、そして彼の目線で姉の口紅がどう見えるかを想像してみたのがこちら。

あとは特に捻りはないと思う。シーンとしては和泉愛依が弟に口紅とはなんぞやというのを説明しているイメージ。特別なタイミングで使う化粧品って(少なくとも和泉愛依にとっては)何かに挑む際の武器、あるいはお守りなんじゃないの、と足りない想像力を働かせてみたが、言及がなかったのでまあイマイチですかね。私の心はまだ修学旅行で木刀を買う小学生男子で発達段階が止まっているので、口紅の、カバーを外して使うところや、先が細いその形状は、刃物を思わせるなと感じている。

 

次は同部門の没案。

六月のヴェールの彼方で幸福に塗り潰される君のくちびる / 樋口円香 浅倉透

 

ブライダル浅倉透が来たしな、という安直さから作った。モチーフが陳腐なのと、浅樋は食傷気味だなというのと、その重いテーマを扱うには表層的に過ぎる歌だなと思ったので却下。ただ、樋口円香が他人の結婚式で、式の雰囲気やしっかりと化粧をした花嫁を見て「幸福に塗り潰される」という感情を抱きそうだな、というのは割と急所を突いているのでは? と自画自賛をしてみる。「ヴェール」、「潰される」、「くちびる」で脚韻(で合ってる?)も意識したがまあ小手先ですね。

 

技法指定部門:対句

値引かれた絵画の青い鳥、君は 飛ぼうとしたの? 解っていたの? / 七草にちか

 

後半が正式な意味での対句になっているかは知らないが、私のガバ判定では100点満点の紛うことなき対句である。「青い鳥」はありきたりながら、幸福の象徴。本来幸福は無上のもので、他者と比較するべきものではないが、現実としては絵画に描かれることで客体となり、更に値段が付くことで比較の対象となってしまう。

幸福は無上のものだというのはあくまで理想論で、結局私の手の届かない幸福は確実にこの世に数限りなく存在し、そして私の手の届く幸福なんて、他者からすれば取るに足らない、大して努力もせずに手に入れられるもの、というのがつまるところ現実なんじゃないんですか? という、(私が思う)七草にちかの根本的な、やや歪んだ、でも易々と否定できるものでもない幸福論、あるいは彼女の幸福を阻んでいる価値観を表したかったのが前半。

後半は、絵画に閉じ込められ、比較の対象とされた上に、低い価値のレッテルを張られた幸福=青い鳥に対して、それを自身に擬えつつも、君はそこから脱出しようとしたのか? あるいは自身の置かれた立場を「わきまえて」安い絵画の中に安住するよう諦めたのか? と問いかけている彼女の内心の葛藤を示したかった。無論、彼女は飛び立ちたい、つまり今日までに自分で作ってしまった桎梏から解き放たれたいと思っているが、それができなかったとき、言い換えれば自分の望む幸福を得られなかったときの恐怖感から、飛び立つこと(=幸福になろうとすること)を躊躇している、と私は理解している。景のイメージとしては、公開の展覧会かなにかが行われている街中で見つけた、結果として低い価値を付けられてしまった絵画の中の幸せの青い鳥に対して、飛び立つ可能性がもう潰えてしまったのか、それとも挑まないことでそれがまだ残されているのか、迷いの中にあるにちかが問いかけるというもの。

例によって伝えたいことが多すぎて何も伝わらなかった可能性が高い(事前感想会でも類似の指摘あり)。あまり、溢れ出す俺の思いや解釈をぶつけようと思って短歌に押し込めすぎない方がよいのかもしれない。三句目の韻律の工夫は拾ってもらえたので嬉しかった。せっかく詩の形式なのだから、メッセージだけでは面白くないということで、できるだけ韻律にも工夫を差し込みたいと思う。

 

 

自由詠

関内のスーパースターに憧れてスローカーブを下からすくう / 西城樹里 浅倉透

 

プロトの自由詠やしな、ということで趣味全開に走った歌。以下趣味ポイントを列挙する。

1.シャニマス野球短歌を詠みたい

2.とおじゅりはあります

3.「スローカーブ」という単語には確かな詩情がある

 

樹里は約束コミュで休みを要求するときに「好きなチームの試合がある」と言う。前後の会話の内容からでは、その試合が野球であることは確定しないが、彼女は神奈川出身だし、関内駅至近に本拠地・横浜スタジアムを擁する横浜DeNAベイスターズの試合だろうという(ガバ)仮説は立つ。樹里がサッカーを観に行っているイメージはあんまりないし、何より放クラのフェス衣装に野球モチーフのものがあるので、これは正直野球の試合と見て間違いないと思う(ガバ推論ふたたび)。そして透と言えば、sSR【かっとばし党の逆襲】で取り上げられている通りバッティングセンターの常連なので、当然野球には関心があるはずであり、樹里と透は一緒に横浜の試合を観に行っているということがわかる(わからない)。

つれないマイペースな幼馴染どもとは行く機会がなかったため、初めて樹里に野球観戦に連れて行ってもらった透は、これまでTVで観ていただけでは分からなかった、スタジアムの歓声、迫力、選手の機敏な動きに圧倒される。実は透はルールの理解も少し曖昧だったりするので、樹里へ事あるごとに質問を投げ「オマエが来たいって言ったんじゃねーのかよ」などと呆れられながらも、「いま、あの人がフライだったのに走ったの、なんでだっけ」などとおかしいくらいに真剣に尋ねてくるので樹里も内心満更でもない。試合は終盤までもつれ、一点ビハインドで迎えた8回裏、ベイスターズの攻撃は二死二塁、この試合で通算4度目のチャンステーマが流れ、透も歌詞を間違えつつもいい加減メロディーは覚えて応援歌を辛うじて歌えるようになってきた頃、横浜の四番、関内のスーパースターが左打席に入る。1ボール2ストライクと追い込まれた4球目、直前の投球で外角に外した速球からの緩急を生かし、空振りを狙って対戦投手の右腕から投げ下ろされたスローカーブは、内角やや低めに甘く入り……(以下略)

 

スローカーブ」という言葉には、少なくとも私にとっては詩情がある。これは『スローカーブを、もう一球』という傑作野球ノンフィクション作品を読んだことがあるからである。ここで多くは語らない。

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「関内のスーパースター」は変化球打ちが上手いとされる筒香嘉智選手のイメージだった。事前感想会の指摘の通り、筒香選手の横浜在籍は2019年までなので、ノクチルの実装タイミングには被らないのだが、そこはどうか許してほしい。なぜなら、どうしても樹里ちゃんと浅倉に二人でハマスタ横浜スタジアム)に野球を観に行ってほしかったんです…… そんでみかん氷とか分け合って仲良くなって、それからも練習終わりに一緒にバッセン行くようになって、「よーし、カーブ打つぞー」とかなんとかとのたまって、逆転ホームランを生で観て感動した筒香の全然似てない真似をしてほしかったんです…… 私の中ではとおじゅりはあるんです……

短歌としては全くの直球だが、感想会でも言及頂いた通り、「スローカーブ」だと具体的な言葉かつ景が立ちやすい、また「スーパースター」「スローカーブ」「下からすくう」でサ行の(無駄な)頭韻を取ったのは意図的なもの。気付いてくれてありがとうございました。正直今回の五首の中ではこれが一番のお気に入りかもしれない。

 

今回はここまで。それでは。