自由帳

Ask perfection of a quite imperfect world.

18/11/2017: Islands

そろそろ夏も始まろうかといった頃。用事があって私はとある地方都市に赴いた。そこはちょうど、東京都心の繁華街にある駅の栄えていない方の出口から出て、少し歩いた場所程度に栄えている街だった。何故こうも回りくどい言い方をしているかというと、要するにそういう前置きがないと少し書き始めにくい話だからだ。用事の性質からして勤め先の人間も同行しており、勤め先の風土からしてこれから夜が始まろうとする頃、すでに私は十分に酔っ払っていた。宿泊先へ向かう途中、仲間内の一人が突然フィリピンパブに行こうと言い始めた。彼は日頃大人しいが、時折フィリピンパブなど目じゃないくらい勢いのある発言をするタイプの人間で、私は彼のそういうところが好きだったのだが、それは話の本筋とは関係ない。彼を仮にAと呼ぼう。翻って普段から調子のいいもう一人の同行者(彼をBと呼ぼう)は同調し、酩酊していた私は「より酒が飲みたい」という一心、及び正のフィードバック的生理的現象の結果、賛成票を投じるに至った。いやここは正直に言おう。私はフィリピンパブという未知に一定程度の好奇心を抱いていた。未知に挑まずして何が人間か、進歩を止めた瞬間に貴様の運命は下降線の一途を辿るのだというアジテーションに脳内会議は踊り、されど進まず、私は私の脚を含む下半身に主導権を渡した。斯くして全会一致となった我々は、事前に下調べをしていたと思しきAの導きの元、何の迷いもなく、怪しい名前の通りにある、眩いが品のない光を放つフィリピンパブに辿り着いた。

店内に入ると、都心の牛丼屋比で7割くらいの片言と声量で歓迎を受け、我々は席に案内された。席に着き少しすると「彼女たち」の中から自分の隣に座らせる者を選べと言われ、私は自らの美的センスに従い、黒いドレスに身を包んだやや憂いのある女性を選んだ。不思議と我々の選択肢は被らない。ただ、私だけが人差し指を使わずに、掌を上に向けることで自分の意思を示したときに覚えた違和感は今でも脳裏にこびりついている。その後各自の飲み物を注文した後(ここで逐一値段を確認していたBはビジネスマンとして満点だ)、めいめい他愛のない話を始めたが、英語の方が話しやすいというので、我々はそれに従った。英語の方が物事を伝えやすくコミュニケーションが取りやすいと言われるが、それは選択肢がないからに過ぎないと思う。流石、彼女たちの英語は上手だったし、心なしか英語で話している彼女たちは楽しそうに見えた。私は視界の端に、訛りのきつい方言で話しながらひたすらに別の女性たちの尻を撫でている日本人中年男性の姿を捉えた。会話の中で我々がこの土地の人間でないことを知ると、彼女は私が今住んでいる土地や過去に行ったことのある土地に関する質問をしてきたので、今度はこちらが、と思ったのが私の浅はかさであった。どうやら彼女たちは「ママ」に外出を厳しく制限されているらしく、一駅先の街に行くのにも苦労するとのことだった。慌てて私は自分の話をしようと思ったが、既に彼女は相槌以外何も返してくれなくなっていた。ふと隣の席を見てみると、A(註:彼には婚約者がいる)は自分の選んだあどけない感じの女性とキスを交わしており、Bは大柄な女性の太股を撫でる機械と化していた。なのに我々と言えば、黙ってお互い軽く手を重ね合わせる位だ。

よく分からないがどうやら盛り上がってきたらしいので、一発歌を歌おうかということになった。我々は順繰りにマイクを回していき、彼女たちにも分かるように英語の歌を歌った際に店内の他の客から向けられた視線を感じたとき以外はそれなりに楽しかったのだが(カラオケの機械は広い店内で共有しているものだった)、我々の歌会が一段落した頃、別の席の人間が尾崎豊の『I LOVE YOU』を歌い始めた。彼女は日本語が分からないというので、下手くそながら歌詞を逐語訳しつつ我々はそれを聴いていた。知らんオッサンのそこそこ上手な歌が、サビ前の ”Uh—Uh—Uh—” という箇所に差し掛かったとき(わからん人はYouTubeへ)、何を思ったか、私の隣に座っていた彼女はメロディに合わせ「ウーソーツキー」と歌い始めた。聴けば日本人は嘘吐きなのだと彼女は伏し目がちに笑いながら言う。確かに、彼女はそういう世界でも通用しなくはなさそうに見える。そして彼女は自分の肩に刻まれた漢字のタトゥーを指差し「これは日本語でどういう意味?」と尋ねてきた。私はそのままの意味を答えても大丈夫そうな文字だったので安堵した。だがその後も流れ続けた日本語の歌を、拙いながらにコーラスする彼女たちを見て抱いた感情が何だったのか、未だに分からないでいる。

そろそろ規定の時間が来るというので、特に未練もない我々は帰ることにした。気付けばAとBは向こうからのアプローチで連絡先を交換しており、「また会おうねー」などと軽口を叩きあっていた。だが彼女は我々が帰ると知るや、私に連絡先を教えるよう懇願してきた。私はその、突如として現れた彼女のひれ伏すような姿勢に、若干抵抗を覚えた。何より、彼女のその瞳の奥に自分を見るようで辛かった。きっと彼女の所謂「売り上げ」は芳しくないのであろう。中途半端に自分の価値を自覚しているのかどうかは知らないが、自分からは多くを与えようとせずに、必要なときだけ今までその感情を顧みてこなかった他人の助けを求める、それも訴えるような方法で。そしてそれはお互いそうなのだが。去り際に、彼女はより一層深みを増した瞳でご丁寧にもボールペンとメモ帳を差し出してきた。

 

……私は嘘の電話番号を教えた。

 

帰り道、AとBは「楽しかったな」と言ってきたので、私は「な」とだけ言い、曖昧な微笑みを返した。蒸し暑い初夏の夜。