自由帳

Ask perfection of a quite imperfect world.

04/09/2017: Summer; 『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?感想

今年も夏が終わる。夏は特別な季節であり、様々な出来事が起こり、様々な感情が呼び起こされる。夏には無限の可能性が秘められている。そして私たちは夏に秘められた数多の可能性を知らず知らずの内に殺していき、やがて秋を迎え、ゆっくりと、だが確実に老いていく。

 

『打ち上げ花火、下から見るか、横から見るか?』を漸く観てきたので感想を書きたい。

正直何となく、大当たりするタイプの作品ではないのだろうなと思う。ただ、僕にとっては間違いなく観て良かったと言える作品だった。尚、本稿を書く段階では、原作小説や実写版等には一切触れておらず、他の人の感想も極力シャットアウトしている。

では、早速ですがこの先、ネタバレスタートです。

 

 

 

 

 

ウケが良くないと予想されるのは、多分以下の理由によるものだろう。

1.画の作り方がそれ自体としてはあんまり「エモく」ない。もう少し丁寧に言うと、表現としては冴えているが、観客の感傷を呼び起こすような美しさや切なさを正面切って打ち出す表現を敢えてしていない。その結果、物語の筋立てとも相俟って、本作に期待されていたであろう、眩しい、瑞々しいひと夏の青春物語といった印象はない。

2.登場人物同士のコミュニケーションや物語の展開に、若干不自然な、チグハグな所が多い。

3.玉を投げたら典道君の思った通りになっちゃうし、代償もなかったりして、ループ設定そのものの作り込みが甘い(これは他作品との比較の影響もあろうが……)。

4.ぶっちゃけ、ヒロインの可愛さがストレートなそれじゃない。

5.なずなママの事情もちょっとは教えろよ!あんなに魅力的なんだから!(完全に個人的な意見)。

だがしかし。上の四点(なずなママの話はさておき)はこの作品の独自性と言うか、描きたかったことを際立たせた代償なんじゃないかと思う訳です。自分が何らかの作品に就いて話すときは、結局自分の好きなシーン(=作品の伝えたいこと、心に響く「メッセージ」が的確に、情緒豊かに、だが説明しすぎることなく表現されているシーン)を中心に話してしまうので、その方針でつらつら書いてみる。

僕が本作で一番好きだったシーンは、玉を二回投げた結果灯台に追いつめられるエンドを迎えるループにおいて、典道君となずなが灯台の中の階段を上るときに、「例え今日が最後の一日だったとしても、俺はお前と一緒にいたい(一回しか観てないので台詞はうろ覚え)」と典道君がなずなに告げた後のなずなの表情、これがいい。それまで哀しいくらいに、全くと言っていいほどコミュニケーションや気持ちが噛み合っていなかった二人が、ここでようやく想いを一つにする。典道君からすれば、なずなが自分と同じ想いを持っているだなんて微塵も想像していなかったところや(次のループで同じ内容をなずなから告げられた際、彼は大赤面している)、なずなからすれば、典道君が本当はそういうことを思ってくれる男の子だと感じていたからか、だからこそ安曇君ではなく彼を選んだからか、然程オーバーではない控えめな、だけど溢れ出る喜びが抑えられないような笑顔の表現に留まっていたのもまたいい……(読み取りすぎか?)

まあそれもそのはず、中学1年生の男女なんて、同じ人間とは思えないほど精神年齢に差があるのだから致し方ない。典道君が「か・け・お・ち」を決心するまで、執拗なまでに描かれていた少年の弱さ、愚かしさ、もどかしさにハッキリと決別するこのシーンは、それまで散々観客にフラストレーションを与えていたコミュニケーションの噛み合わなさ、勢い不足の展開を昇華させ、結末まで一気に持っていく起爆剤となっている。

次に印象的なのはやはりここから繋がるクライマックス、例の玉が泥酔した花火師によって空に打ち上げられて砕け散るシーン。砕け散った玉は、有り得たかもしれない未来を一つ一つの破片に映し出す。「あるべき世界」=「花火が丸く見える世界」「すべてが思い通りになった世界」を追い求め続けていた典道君は、それが手に入らないことを知り、何かを悟ったような笑みを浮かべ、水中でなずなと抱擁を交わす。恐らくもう会えないであろうことを知りながら、それまでとは全く違った心境で、「次はいつ会えるかな」となずなは問いかける。無数のガラスの破片が空から降り注ぎ、その後ろで花火が打ち上がっている情景は非常に美しいが、僕が記憶している限り、その花火が「あるべき姿」であったかは分からない。彼らは、例えいま自分が生きている世界が不条理であっても、お互いに分かり合えなくても、思い通りの結末が迎えられなくても、それを受け入れ、選択し続けていかなければならないことを知ったのだ。だから典道君はそれまでの躊躇を振り切って、自分の力と意思でなずなに寄り添おうとした。このシーンは、なずなの二人目の父親が玉を持ったまま亡くなっている別のシーン(一瞬しか映らないが)によって強い意味を持たされている。詳細は語られていないが、なずなの父は「あるべき世界」に固執した結果、永久にそれに辿り着くことが出来ず、或いは何が真実で何が嘘なのか分からなくなり、命を絶ったのだろう。彼らの悟りと決意は、なずなの父との対比である。そして、玉は典道君となずなだけのものではない。彼らを取り巻く同級生たち自身も皆、いつかは砕け散る可能性の塊なのであり、玉の本質はループを生むためのフックや設定にだけあるのではなく、無数の可能性の内のたった一つが析出したものである「この夏」を越えて、ほんの少しだけ成長した彼らの比喩にもあるのだと思う。この上なく美しい情景と共に、重層的なメッセージが無理なく伝わってくるこのシーンだけでも、本作を評するには十分であろう。ここにおいて、敢えてループに代償や悲劇を伴わせる必要はない。本作ではアニメ的表現が多用されているものの、そのメッセージはコミュニケーションの不全や、「あるべき世界」とは異なる世界を受け入れて生きる、といったことに関わる、極めて現実的なものであり、そこに非現実的な代償のメカニズムを組み入れるのは蛇足というものだ。

先述の「画に『エモさ』が欠ける」というのも、そうしたテーマを説得力と共に打ち出すため、恐らくほぼ全てのシーンを理詰めで作っているから、ということが背景にあるのだろう。クライマックスのシーンですら、勢いで押せばいいものを、様々な意味を持たせようとしているあたり、単純に感傷的な作品を作らないようにしようという製作側の意図が感じられる。学校や町の描写はそれぞれのループにおける微妙な差異を表現する道具として、なずなのトランクは夢と空想の詰め物として、電車とトンネルは二人の内的世界の表れとして、岬と灯台は逃避行の終着点として、風車と花火は世界のステータスを表すものとして、周到に役割を与えられ用意されているように見受けられる(一部「お前、その画撮りたかっただけやろ!」みたいなシーンも散見されるが別にエモくはない。ちなみに道路の溝を浴衣で跨ぐカットや、典道君を花火大会へ誘う際になずなが「好きだから」とは敢えて言わずにその後のカットで上機嫌で自転車に乗っているところとか、なずなが最後に水面から飛び出してくる一連のシーンとかは本当に好き)。

そうした世界観にあって、ヒロインはストレートな可愛らしさを持った正統派であってはならない。言い換えれば、なずなが予測困難で掴み所のない、不安定な存在であることで、本作の世界観とメッセージが一層強固になる(なずなが可愛くないという訳では断じてない、寧ろめっちゃ可愛い。いきなり「私のせい?」とか訊いてくるヒロインは最悪で最高だ)。こう書くと、筋立てとメッセージありきでキャラクターが動かされているようにも読めるが、実態としては逆で、こうしたなずなのキャラクター性を際立たせるような物語が組まれているのではないかと思う(断言はできないが)。これは何故か。まず、なずなは典道君他の少年たちにとって、初めは理解不能な存在である必要がある。精神年齢に天と地ほどの差がある上、多くを語らないなずなとのディスコミュニケーションが本作の始点であり、それを経て世界の不完全さを受け入れることが終点となるからだ。また、大人の女性と少女の間を絶えず行き来するなずなの妖しさと儚さが、典道君の心に、なずなに導かれたい/なずなを守ってあげたい、という相反する感情を掻き立て、二人の駆け落ちの原動力になっている。それから、これを言ったら怒られるかもしれないが、なずなは多分典道君のことをこれからもずっと好きでい続けるとは思えない。「ビッチの血」は冗談としても、典道君が自分の傍にいてくれることに慣れてしまったら、彼女は何も言わずに去ってしまうような危うさが台詞や仕草の端々に表れているように思える。「二人だけの世界」などという妄想の産物には留まってくれないような彼女は、ある種の「諦め」と「悟り」が色濃く残されている本作の結末に相応しいヒロインではないか。

何だか勝手に仮想敵を立ててそれを倒しに行くような構成になってしまったが、僕としては本作の良いところを並べてみたつもりだ。詳しくは述べないが確かに減点箇所は幾つかあるものの、それを補って余りある、散文的に美しい情景を並べたてつつも、軸は首尾一貫した物語であった。玉が砕けて破片が降り注ぐシーンは、劇伴も相俟ってつい感極まってしまうくらいの出来だったと思う。とは言え、何かあると岬の灯台に行きがちな人間としてのバイアスかかってんだろうな。

 

追伸:書き終わった後にレビューとか実写版とかを浚ってみましたが、本作は「わけがわからない」と酷評されている上に、実写版では玉は出てこないようですね。思い入れの強いシーンがないならもう完全に別作品だな……。あと主演俳優二人が棒読みとか言われてるけど、所謂「生っぽい演技」だと僕は受け取りました。この辺は感じ方の違いでしょう。「なずなはメンヘラ」とか言ってる人は一生健全美少女追いかけとってください。