自由帳

Ask perfection of a quite imperfect world.

19/06/2017: Null

久々の更新。

気付けば歳を取っている。私はもう四半世紀も生きてしまった。歳は取りたくないが、終わりはさっさと迫ってきて欲しい。私は私として生きることに最早倦んでいる。「いい年して云々」という言葉が誰の言葉であっても、誰に向けられた言葉であっても、気になって仕方がない。

学生時代から今この瞬間まで、まるで何もなかったかのような感覚がある。決して輝かしい青春時代だったとは思わないが、時折夢で高校の文化祭や授業の光景、大学時代の何でもない飲み会や旅行、その他諸々を思い出す。音楽やら書物の好みはその頃から一切変わっていない。

お山の大将をやっていた時代の勲章の一つとして、なんちゃら全国模試で一桁に迫らんとする順位を取ったことのある私も、今となってはただの人。あてどなく漂流して、社会の大きな澱の一部をやっていっている。振り返ってみれば、身体年齢20歳手前くらいまで、私は実態としては3歳児だったのかもしれない。「何者かになりたい、ならねばならない」という危機感だけを抱くも、特に何の対策も打たず、私はもう四半世紀も生きてしまった。何もしてこなかったのだから何もないのは当然の帰結か。

先週人事考課があった。平たく言えば私の長所は「親しみやすい性格に裏打ちされた高いコミュニケーション能力」と「後輩や同僚から頼られる存在であること」らしい。冗談じゃない。俺は言葉を使って誰かに何かを伝えることが偶々人より少し得意なだけであって、誰かとコミュニケーションを取りたい訳ではない(と言うより、伝達内容の定まっていないコミュニケーションは甚だ苦手だ)し、会社の人間と親しくなりたいなんて微塵も思っていないし、誰かに頼られて責任を持つなんて真っ平御免だ……。昔から真っ当に生きている人々に劣等感を抱いていて、そういう人々に自分の本質を悟られることを恐れるばかりに、過去の苦い経験を思い出しながら、真っ当な人間になろうと一生懸命擬態しただけ。因みに欠点は「貪欲さに欠けること」と、「細かい点を舐めること」。極めて的確で恐怖すら感じる。

被った仮面だけを評価されるとは皮肉なことである。別に長所なんて挙げる必要はないので、言い換えれば百戦錬磨の営業マンをしてそう言わしめるほどにその仮面は私の顔面にこびり付いている。何ももたらしてはくれない「自分」をすっかり忘れ、後には何が残ったろう。

自分が何を言いたいのか自分でもよく分からない。泣き言を連ねただけに見える。居る筈のない女神様に救ってもらうしかないのかもしれない。女神様と言うか、母と言うか。女神様と母の違いは才気に惚れるか否かだと思う。私にはないけれど。

私は未だ子供にすらなれていない