自由帳

Ask perfection of a quite imperfect world.

04/02/2019: (記)川苔山

余りにも書くことがないので、山行の記録を付けることにした。これもいつまで続くかは分からないが。私のことを「終わった人間」と呼びたければ好きにしていいし、私はそれに反論する言葉を持たない。最近書くことがない理由に関しては一回自分の中で整理を付けておきたいとは思っているものの、まだ頭の中で纏まっていないので、無意識が何とかしてくれるのを待つほかない。

さてここからは山行の話。「山行」というのは「登山に行く」という意味で、以前会社の人と共に登山をしたときに質問を受け、どうやら一般的な語彙ではないらしいことに気付かされた。話は逸れるが、聞くに私の口から出る言葉が相手の頭の中で漢字に変換されないということはしばしばあるらしく、人生通算で触れてきた言葉のうちテキストが占める割合を少しずつ減らしていった方が良いのではないかと思わされる。ここからは本当に山行の話。

別に言うほどのことではないので特に誰にも言っていないと記憶しているが、日々実感する自らの身体の衰えを少しでも食い止めるべく、私はここ半年ほど月に一度は登山をするようにしている。と言っても、筋トレや語学のように(私は思想的に筋トレは受け付けない)自らを縛る、義務を課す、といった感覚ではなく、飽くまで目安として置いているものであり、事実もともと登山が好きということもあり、特に負担を感じることもなく、いや寧ろ楽しんで続けられているというのが実態だ。

今回登ったのは川苔山(カワノリヤマ)。東京都と埼玉県の県境に位置するこの山の標高は1363m、奥多摩の名峰のひとつに数えられる。一時期「川乗山」と表記されたこともあるが、かつて川苔が採れたという名の由来から、近年「川苔山」という表記に戻したとのこと。一方で最寄りのバス停の名前は「川乗橋」である。浅学ながら「川苔」なるモノの存在を実はこれで初めて知ったのだが、これは綺麗な水の流れる山渓の岩上に生育し、食用にもなるらしい。この山を選んだ理由が特段ある訳ではないが、自宅にあるガイドブックを引ったくったところ(私は大抵、前日の夜に山行を思い立つ)、日帰りで行けて、さほど危険ではないがそれなりに手応えがあり、ちょっと見所のある山、ということで川苔山がヒットした。

翌朝は5時30分に起床し、地下鉄で新宿へ。中央線、人もまばらな「ホリデー快速おくたま」の始発に乗り、1時間30分ほど電車に揺られる。中野から先の記憶は一切なく、気付いたら終点の奥多摩駅に着いていた。その後はバスで15分ほど移動し、先述の川乗橋バス停に到着、登り始めとなる。この時点で8時40分。登山としては遅い方である。

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当日は快晴なるも寒さは厳しかった。これは登り始めの写真。

登り始めて気付いたが、やはり2月の寒さは厳しかった(同日の最低気温は氷点下1度)。登り始めたら直ぐに身体が温かくなるだろうと高を括っていたら、なかなかそうはいかず、敢えてペースを上げて1時間ほど歩いてようやく身体が慣れてきた。

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川沿いには沢山の氷柱が。清冽な空気は冬山ならではのものだった。

序盤は小滝が落ちる川苔谷を、橋を渡り返しながら進んでいく。滑ると危ないので神経を使う。陽が一日中当たると思しきところには雪が積もっていない一方で、日陰になるところでは立派に雪が積もっているのが面白い。

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こういった橋を何度も渡る。陽に当たって煌めく川面が美しい。

しばらく登っていくと、川苔山の最大の見所である「百尋の滝」に行き当たる。これはヒャクジンノタキではなくヒャクヒロノタキと読む。細かいデータは調べていないが、その大きさはまさに圧巻で、東京都内にこんな場所があるというのが驚きである。真冬の澄み切った空気に包まれているということもあってか、言葉にし難い神々しささえ感じさせた(写真では伝わらないかも知れないが)。

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百尋の滝。流石に修行僧はいなかった。

この先は取り立ててフォトジェニックな場所もなく、淡々と頂上を目指し登っていくのみ。途中、完全に雪で埋もれた登山道を何度も通っており、足が取られるせいで予想以上に疲労が溜まってきたこともあって休憩を取りたくなったが、所定の場所ではないことから座れそうな場所はないので、登山道脇に積もった雪に寝転がって休むことにした。これが最高に気持ちよかった。こんなに寒い日の山中、当然周りにはほとんど誰もおらず、風や川の音が微かに聞こえる中で、雪原の中に倒れ込み、雲一つない澄んだ青空をぼうと眺めていると、この空間全てが自分のものであるような気がしてきた。目を瞑ると意識が遠のき、どこか遠くを飛ぶジェット機のエンジン音が小さくなるにつれて、自分という存在の感覚がある種の快感と共に希薄になっていくような……とここまで書いて何だか死にゆく人の独白のようになっていることに気付く。とにかく気持ちよかったのは本当。ただ、5分ばかり寝ていると背中が余りにも冷たくなってきたので気を取り直して山頂を目指す。

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こんなような雪道が延々と続く。俺は一体なにをしに来たんだ?

そんなこんなで山頂に着く。ここまで約3時間の歩程で、距離・時間的には大したことはないはずだが、やはり雪道だと体力の消耗が激しく、流石に少し疲れていた。山頂では携帯コンロで湯を沸かし、コーヒーとカップスープを淹れ、あんパンと共に食した。見晴らしのいい山頂と心地よい疲労をスパイスとして摂る食事は五臓六腑に染み渡り、この上なく美味である。下界で如何に舌を肥やそうとも、全身で味わう食事には勝てないのではないだろうか。

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山頂からの眺め。富士山とか色んな山が見える(適当)。

後はひたすら下っていく。下りはつまらんという人もいるが、どう下れば一番安全で楽かということを考えながら下るとそれなりに楽しい(まあどうあがいたって登りには敵わないのだけど)。下りはさほど積雪地帯はなく、余裕をこいて鼻歌を歌いながら下っていくとあっという間に麓の集落に着く。帰りは奥多摩駅ではなく鷹ノ巣駅から。なかなか素敵な駅舎だった。蕎麦の一杯でも食べて帰ろうかと思ったが、幸か不幸か割と直ぐに電車が来てしまったので、それに乗っていそいそと新宿に戻ることにした。

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上は集落の写真(オタクは急坂にある集落に弱い)。下は駅舎。待合所は近所の小学生の遊び場になっていた。

自宅近くに戻ってからは、一旦荷物を置いて近所の銭湯に繰り出し、温泉→サウナ→飲酒→休憩所で漫画、の黄金コンボ。これは絶対に負けない。同日はもう夜9時前には眠くなり、熟睡したのち翌朝早くにバチリと目が覚めて、仕事も速攻で片づくという好循環が生まれる。斯くして私は今月も、真に自分だけのためであり、自分だけで完結してしまう休日を満喫したのであった。