自由帳

Ask perfection of a quite imperfect world.

28/03/2021: 近況

会社の人にすら生存を危ぶまれているので、特に面白いことは何もなくまとまりもないが近況を記す。「〇〇さん、生きてますよね?」「学校で授業を受けていることにはなっているので、何かあれば連絡があると思いますが」「孤独死とかシャレになんないですね……」といったメールが本当に社内で飛び交っていたし、銀行口座を(やっと!)開くために約2か月ぶりに会社の人に対面したときも「○○さん、精神的には大丈夫ですか?」「不安も多い中、文句の一つも言わず勉強していて偉いですね」とのコメントを頂戴した。俺は偉い。今日はこれだけ覚えて帰ってほしい。何だったら先日警察署での外国人登録手続を実質一人で済ませたのもマジで偉いと思う(コロナ禍のため書類手配のエージェントは建物の中に入れず、入口で簡潔に説明をするのみであった。私が迂闊にも「勉強のためにも英語ではなく現地語で説明をお願いします」と告げた際の、彼の爽やかな笑顔が印象的であった)。

 

当地では現在、スーパーマーケットとドラッグストアを除くほぼすべての店舗が閉鎖されている。元々2月末から1ヶ月間の措置となる予定だったが、先日4月半ばまで延長されることがアナウンスされた。恐らくまた延びるのだろう。来るはずだった仲の良い同期の渡航もあえなく延期となった。先生によれば本来はもう夏が終わり、秋に差し掛かっているはずなのだが、まだ気温は30度を上回っており、長い夏が続いているらしい。そんな中、日々やっていることと言えば、本分たる語学の勉強、それから健康維持のための自重筋トレ、おまけにシャニマスウマ娘くらいである。最近ではプロ野球センバツが開幕したので、朝起きて試合の経過を見ることも日課になりつつある。中京大中京の主戦・畔柳くんは中日に入団してくれるのだろうか。どうでもいいがウマ娘のアプリはすごい。なんか全部がめちゃくちゃリッチ(語彙力の不足)。一体何人のエンジニアと何億円の資金が投入されたのかと思う。国産品の品質低下が各産業で顕在化しつつあるようだが、このクオリティはマジで世界と戦える水準な気がする。別に世界のソシャゲのレベル知らんけど。帰国したら競馬を見に行きたくなるくらいには面白い。

 

食べ物の面では、フードデリバリーは使えるものの、味が濃くあまり身体によろしくない食事になってしまうので、基本的には自炊としている。そのせいか若干痩せた気がする。なお、ほんの数週間レストランに行ける日々があったが、農業大国たる当地のメシは大体美味い。この状況でもなお、スーパーやデリバリーサービスで働いている人々には本当に感謝の意しか出てこない。ということでたまにデリバリーサービスを利用するときには、必ずチップを満額払うようにした。たった数十円の額、惜しむ方が却って心残りであるし、俺にできることはこれくらいのもんである。一人で家に居ても割と平気なタイプの人間なので、幸いこの環境にあまりストレスを感じてはいないが、ここ一週間口内炎が治らずにいる。ビタミン剤やマウスウォッシュを使用する頻度を上げるなどして対処しているが、知らず知らずストレスが溜まっているのかもしれない。ひとつ心配事があるとすれば、人と話す機会が余りにも少ないので語学の上達が遅いのでないか、という点だが、まあこの辺りは別に誰かとの競争という訳でもないので、自分のペースで粛々とやるしかないと腹が決まり始めている。いま起きていることは、渡航が大幅に遅れた段階で既にある程度覚悟していたことが大半なので、そんなもんだろう、というのが正直なところだ。学習の中心はもっぱら作文で、先生からテーマを与えられて書いている。流石プロの教師、結構書いていて面白いテーマを出してくれるのであまり「宿題」という感覚がない。例えば、複数の民族音楽を聴いて感じたそれらの違いを説明する、所得水準・生活態度・よく聞く音楽に関連する統計を読んでそれぞれにどのような相関があるかを分析する、何故キリストは12月25日に生まれたことになったのかに関する仮説を紹介する、等当地の文化・政治・宗教に関わるテーマがある一方で、日本の伝承の粗筋を述べ、それが現代に与えている影響を説明する等、日本のことを紹介する機会もあり興味深い。最近は5分くらいの音声を聴き、その要約を作るなどもしている。ただ、いまのレベルでは何十回も聴かないと詳細が分からないのが苦しい。作文を書き、それを音読するというシュリーマン式語学勉強法を墨守し、このサイクルを繰り返すことにはもはや修行のような趣がある。

 

コロナ禍とは関係ないが、やはり『シン・エヴァンゲリオン』を観ることができないのはつらい。アスカは幸せになったのか、なったとしてどのように幸せになったのか。なんとなく漏れてくるネタバレを見るに、実際に劇場に観に行ったら俺は怒って帰ってきていたような気がするので、ひょっとしたらこれでよかったのかもしれない。同様に、『ガールズ&パンツァー』で突撃戦法を進化させた知波単を大洗がどのように破るのか、『シン・ウルトラマン』にはどの怪獣が出てきてビートルがどんな活躍をするのか、科特隊はどのような官僚機構として描かれるのか、『レヴュースタァライト』新作劇場版で西條クロディーヌは天堂真矢に何を語り、何を語らないのか、大場ななは果てしない再演の先に何を見るのか、等々、「日本の最新情勢」に対する関心は尽きない。

話は変わるが、当地で二か月弱を過ごす中で、感想程度でしかないが何となく見えてきたことがある。(自分が読んだり聴いたりできるものの中でしかないが)当地のメジャーなテレビ・雑誌の水準は、日本との比較という観点では高い。ニュースには必ず各領域の専門家が呼ばれており、視聴者に分かるように科学的な説明を丁寧にしている。雑誌においても、現場の細かい取材とデータに基づいた記事が多くを占めている。実際、ジャーナリストは当地で人気のある職業の一つであり、社会科学・人文学系の修士が多く務めていると先生から聞いた。これは日本とは異なる現象である(このことを先生に伝えると「なぜ専門家でない人間の言っていることを人々が信用するのか?」と不思議がられた)。しかしながら、現状は見ての通り、また反ワクチン派も一定数おり(Uberに乗るとそういうドライバーがたまに現れる程度の感覚。別途統計を当たりたい)、さらに、強硬な聖書主義を特徴とする福音派も近年増加傾向にある。当地の経済格差が大きいことはほぼ周知の事実であるものの、(使い古された表現になってしまうが)いわゆる「社会の分断」を経済的な部分以外でもなんとなく感じるところである。なお、当地では貧困層向けに食事の供給、風呂・散髪サービスの提供、が無料、ないしは極めて廉価でなされており、路上生活者の様子が他国の大都市圏とはかなり異なる点も印象的であった(身も蓋もない言い方をしてしまえば、清潔かつ健康そうであった)。高々二か月でここまで言うのは憚られるが、多様な問題を抱えつつも、この社会はひとつの均衡に落ち着いているのでは?という疑問も抱くようになった。今後授業のレベルが上がっていく中で、そうしたトピックに関する文章も読むようになると思うので、隔離生活の数少ない楽しみとしてとらえてみたい。