自由帳

Ask perfection of a quite imperfect world.

アイドルマスターシャイニーカラーズ / noctchill:イベントコミュ: 『天塵』感想(前編)

導入の導入

以下の文章は、2020年7月時点で表題に関して投稿しようとしたものの、上手く纏めることができずにそのままになってしまったものです。このたび、久し振りに本ブログを編集しようとしたらこれが下書きに残っているのを発見し、約17,000文字+スクリーンショット複数が含まれていたため、消去するのも惜しくなったので無責任に放流するものです。

現在ちょうどシャニマスに新しいユニットが登場しているなか、1年弱前に新ユニットとして登場したばかりのノクチルが、その頃どんな感じだったかがなんとなく分かること(と俺がなんかスッキリすること)以外に本稿の意義はありません。

 

導入

 この記事では、enza対応ゲーム「アイドルマスターシャイニーカラーズ」にて、2020年7月10日まで開催されていたイベントである、『天塵』の、イベントコミュの感想を書いています。物語の核心に迫る記述を大いに含むため、未読の方はこの点お含み置き下さい。

 尚、この記事を「前編」と称しているのは、『天塵』のあらすじと、それに沿った感想を記すひと纏まり、という意味においてであり、イベントコミュの内容全体をカバーしていないという意味ではなく、この記事で一旦最後までをカバーします。そして、今後投稿予定の「後編」において、一旦あらすじから離れ、個別のトピックに関して感想を記すことができればと考えています。それでは、本文に入ります。

 

本文

Opening: ハウ・スーン・イズ・ナ→ウ

 『天塵』は、幼少期のノクチルメンバー4人で交わした会話を樋口が回想する場面から始まる。この回想は、各自の台詞で使われている漢字から推測するに、メンバーが小学校2~3年生だった頃の話だろう。浅倉は、夏休み、お盆が終わるまで、自分が祖父母の家に滞在することを寂しがるほか3人に対し、自分たち4人でお金を貯めて買う車で「みんなでりょこう行こう」と提案する。視点は現在に戻り、プロデューサー(以下「P」)は、仕事終わりに車で樋口を彼女の家まで送る場面に移る。Pは、明日も急なミーティングが入ると樋口に告げ、「害はない、とてもいい話」であること以外にその議題は明かさないが、それがノクチルの初仕事の件であることを、彼に伝えないまでも樋口は看破する。彼女はPと別れた後、喜びを隠しきれない彼の不器用さに嘆息するとともに、再び幼少期の回想に戻る。自身の提案に対しどこに旅行するのかと3人に問われた浅倉は、逡巡したのち、「海にしよう」と答える。ここで回想は終わり、樋口は一人、「どこ行くの 私たち―——」と誰に問うでもなく呟く。

 回想シーンから、現在のノクチルの4人の性格やユニット内での立ち位置は、幼少期から大きくは変わっていないことが分かる。感覚的な発言でありながら、それによって中心となり皆を引っ張っていく浅倉、聡明で慎重な樋口、心配性な一方で未知に心を踊らせる福丸、楽しいことを何よりも大事にする市川。しかしながら、お互いの呼び方は、福丸からのそれを除いて現在のものとは異なる(この点は後編で詳細に追ってみたい)。ちょうど自分も浅倉に関する回想をしていたところに、Pが浅倉を話題に出して樋口が露骨に不機嫌になる辺りは、W.I.N.G. 編で再三描かれてきた、Pに自分の内面に踏み込まれたという認識から来る嫌悪感であろう(Pからすれば、今回はとんだとばっちりであるが)。このオープニングでは、いよいよ初仕事が決まり、ノクチルの4人を取り巻く環境と、その関係性が変わっていくことに対する、樋口の不安が描かれている。樋口の問わず語りは、3人を導く浅倉と、彼女自身に対する問いであり、このコミュを通じた主題でもある。

 少し話題が逸れて元ネタ話となってしまうが、タイトルの『ハウ・スーン・イズ・ナ→ウ』は、The Smiths の "How Soon Is Now?" が由来と思われる。

 

www.youtube.com

 

ノクチルに引き付けてこの曲をとらえるならば、歌詞の以下の部分が、

When you say it's gonna happen "now"

Well when exactly do you mean? 

彼女らのデビュー曲である 『いつだって僕らは』冒頭、

きっと 夢は叶うよなんて 誰かが言ってたけど

その夢はどこで 僕を待ってるの

に呼応していると感じた。何れも、自分たちが望むものが、いつ・どのようにやって来るのかを問うているが、Smiths の方は歌詞全体を読むと非常に悲観的なトーンである一方で、『いつだって僕らは』では自ら踏み出していく歌詞が続き、彼女らの不安と昂ぶりを端的に表している。"Now" の間に「→」を入れているのは、現在進行形で変わりつつある・望むものに近付こうとしている彼女ら自身を示唆するとともに、Smiths を題に取りながらも、待ち続ける彼らとの違いを意識しているのだろう。

 

第1話: 屋上

 ダンスの振りのテストを翌日に控えるなか、樋口と福丸は283プロの屋上で振りの練習をする。この二人ほどには練習している様子も見られない浅倉と市川も遅れてやって来るが、入れ替わるように福丸はPに呼び出される。このとき、福丸は浅倉のダンスを目にし、その美しさに感嘆する。

f:id:sangzhi_sibling:20200705161731p:plain

屋上での練習風景。樋口と福丸が二人でダンスを練習している様子を想像するととても愛おしい。

この後しばらく私は、暇さえあれば「てってん、てててん」と一人呟く怪人と化した。

 浅倉のダンスを見たこともあり、自分と周りを比較するような発言が目立つ福丸に対して、樋口は「小糸も踊れたでしょ」とシンプルな肯定を返す。これに気をよくしたのか、福丸は「これくらい当然」と言い、初仕事に向けた意気込みを見せる。福丸の意気込み、言い換えれば初仕事への期待を感じた樋口は、「浅倉が騙されているのではないか」と訝しみ283プロを訪れた日のことを思い出す。*1。一方で、樋口がこの時点で遡及的に、自分の幼馴染たちが、特に期待に胸を膨らませている福丸が騙されているのではないか、と懸念していることは間違いない。さて、その懸念をおくびにも出さず、樋口は福丸を褒めてやり飴を渡すが、ここでは「今日はね」と前置きした福丸からも飴を渡され、穏やかな声色でありがとうと返す。これは樋口が自主練後の福丸にお菓子をあげる、sR樋口の第2話からの微妙な変化であり、今回のイベント報酬となっている【游魚】sSSR樋口の第1話でもクローズアップして描かれている。

f:id:sangzhi_sibling:20200705165210p:plain

「すーっとしないやつ……!」という表現が福丸らしくて良い。

妄想ながら、きっと幼少期の樋口は薄荷味の飴が苦手だったのだろう。それを覚えている・引きずっている福丸のいじらしさと言ったらない。樋口もとうの昔に味の好き嫌いなぞ克服しただろうに、特に何も言わないというな。

 その頃、屋上では浅倉と市川が、初仕事の後にどんな仕事が待っているか、樋口に言わせれば「中身ゼロ」と評するであろう会話を繰り広げるが、「遠くに行く」という話題になったタイミングで、泡の音の効果音が入り、光る水面の背景に切り替わる。これは恐らく、幼少期に交わした「4人で買った車で海へ行く」という約束を、市川が意識しながら浅倉と会話していることの示唆と考えられる。最終話と、【游魚】第3話で判明する通り、市川はこの約束を克明に覚えており、1万円を貯金してすらいる。この約束が、そして浅倉の存在が、市川にとって如何に大きなものであるかが伺え、なかなか核心を見せない市川の内面が見え隠れする貴重なシーンである。

 夕暮れ、福丸は夕食までの時間を使って走り込みを行うが「みんな、すごいな……」と自分を追い込んでいく。また、浅倉のダンスに刺激を受けたと思しき樋口も、事務所に居残って自主練に勤しむ。帰り際にPと会った(会うように企てた?)樋口は、初仕事 ——「視聴者数が売りなだけ」な生配信番組への出演—— に対する疑問をPにぶつける。この樋口の疑問において最も重要なのは、この初仕事にしては大きすぎる案件が、浅倉個人が制作陣から注目を受けて取ってきたものなのか否かを質す点である。樋口は、のちに第3話で描かれる通り、浅倉が個人として注目されるようなことを浅倉自身が望んでいないこと(またこれに類する内容が【途方もない午後】pSSR浅倉でも、浅倉本人の口から語られている)を知っており、一方で、浅倉が他者からそのような視線を受けがちであることを樋口として認識しているために、Pが浅倉のことを正しく理解できているのか、また期待に胸を膨らませている福丸を失望させるような結末にならないのかを確認したかった、という背景があると考えたい。もしそうであれば、ここにおいて樋口は、仕事の内容や成否よりも、幼馴染2人の心情を想って単独で行動していることが伺え、彼女の思慮深さに感じ入らざるを得ない。そんな樋口に対して、本件はノクチルのメンバーにとって重要な経験となり、浅倉個人がどうという話ではなく、4人のパフォーマンスに視聴者がどう反応するか謙虚に受け止めてほしいと、Pは実直に答える。この背景には、ややマイペースな傾向がある彼女たちに、高いハードルを越えようとすることで、自分たちを見直す機会をなるべく自然な形で提供したいというPなりの親心があるのだろうし、恐らくそういう観点で仕事を選んできたとも考えられる*2。これを受けて樋口は、Pが意外にも自分たちのことを理解し・考えていることを看取し、想定外と感じたのか(Pの発言の合間に入る樋口のひと呼吸は、やや面食らったリアクションのように私には聞こえた)、試される場に出ることになる自分たちを指して「売り物」というやや強い言葉を使い、話題を微妙にズラしにかかる。樋口の想定通り、Pはこの発言に対して狼狽を見せる。「売り物」発言の後に、樋口以外の3人を映すワンカットが回想的に入るが、ここの解釈は少し難しい。私としての1つ目の解釈は、Pの脳裏にこの3人が浮かび、樋口が彼女らのことを指して「売り物」などと発言するのは恐らく本心ではなく、面食らうとともに何か別の意図があるのではないかと思いを巡らしていること、2つ目は、この3人は樋口目線で思い起こされており、この仕事が、「売り物」と定義された自分たちの関係に不可逆な影響を与える危険性に不安を抱いていること、なのだが、この直後に初仕事で何かあったら許さないとPに迫る際、福丸一人のカットが入り、福丸の心が傷付くような事態を何としても避けたいという樋口の懸念が明確に示されることから、1つ目の解釈が妥当かもしれない。

 翌日、ダンスの振りのテストが予定通り行われ、4人とも無事に合格とトレーナーに告げられるが、「誰とは言わないが」息が上がっているメンバーがいるとの指摘を受け、福丸は面前で反省する(この直前のボイスで、福丸の息だけが上がっている演出が細かくて非常に良い。て言うか4人しかいないんだし、そんな意地の悪い言い方せんでも良くない?)。この後、市川も息が上がっていることを、浅倉は平たく言えば手を抜いていることをトレーナーに指摘される。唯一何の指摘も受けなかった樋口は、周囲を気にしながら一人ダンスルームを後にする。この一幕は、各メンバーの性格を上手く表していて興味深い。市川は、トレーナーが名指ししていないことを福丸に指摘するが、これは、特定できる形で言われてもいないのにわざわざ自分の非を認めたり、気に病んだりする必要はない、その必要があるのならば名指しをするはずであるというある種合理的な考え方(第5話に出てくる、インターネットでのノクチルの評判に関する雛菜の態度もこれと同根かもしれない)の表れであり、その後自分が指摘を受けた際にはあっけらかんと「雛菜だった~」と言い放つのも、「雛菜『も』」と言わない優しさ、この段階で息が切れていることを気にする必要はないと、福丸に向けて態度で示す配慮、なのだろうかと感じた(市川はこの辺り、素でやってるのか狙ってやっているのか分かりにくい微妙なラインを突いてくるし、それこそが市川の美点なので受け取り方が極めて難しい……)。浅倉は浅倉で要領勝負なところをしっかり見抜かれているし、他者の前で完璧を装う樋口は、一人になった後に深く息をついている。

 練習後、浅倉はPと二人になるタイミングを見計らい、Pに視線を投げる。樋口はダンスルームに戻ろうとするが、Pと浅倉の会話が始まっており、なかなか室内に入ることができない様子を見せる。二人の他愛ない会話をドア越しに聞きながら樋口は幾度となく溜息をつき、「透は、走り出してしまった」と呟くところで、オープニングと対応するように第1話が終了する。この辺りは少々説明が飛んでいるように見受けられる部分もあるので、幾つか疑問が湧いてくる。まず、ここで樋口が室内に入ることができなかった理由は何だろうか? 一つありうるのは、浅倉がアイドルになろうと思った理由をここで樋口が聞こうとしていたということ。sR樋口の第1話で、樋口は浅倉にこの件を聞きそびれており、二人になる機会を窺っていたが、今回Pが差し入れを持ち込んだことによりそれが不首尾に終わったためと考えられる。では、そのあとに何度も溜息をついていたのは? これは、親しげにPと話す浅倉の様子をドア越しに感じ取り、浅倉がアイドルになった理由にPが大いに関わっているのではないかという、樋口にしてみれば認めたくない疑念が徐々に確信に変わっていったこと、また自分が突然二人の間に入って、樋口自身が浅倉にとって、大袈裟に言えば、樋口と浅倉、二人の関係の中で、今までそんなことは決してなかった「邪魔者」になってしまうのでないかという恐怖を覚えていたこと、が理由ではないか。ここにおいて、樋口は浅倉の微妙だが不可逆な変化を認識し、「走り出してしまった」というやや唐突にも聞こえるモノローグを発するに至る。

 第1話は、要約すれば、樋口の視点から福丸と浅倉の微妙な変化を捉え、一方で昔と変わらずに、幼馴染のことを異なるアプローチで想い続ける樋口と市川が対照的に描かれている。この構図は、『天塵』を通じて繰り返し現れるテーマでもある。

 

第2話: 視界1

 市川のクラスの授業風景から第2話は始まり、科目は恐らく現代社会(いまもそれで合ってる?)、池田内閣の所得倍増計画を経て人々のライフスタイルが様変わりしたことを教師が説いている。体育の授業のソフトボールで活躍する浅倉を窓越しに眺めていると、案の定、市川は教師から「大事なところだからちゃんと聞くように」と注意を受ける。その返しが以下。市川の煽り力が極めて高い。

f:id:sangzhi_sibling:20200705184804p:plain

意地の悪い言い方だが、これに対しそうだと返す教師がいる高校は、さほどレベルが高くないと思わされる。ただ、教師の方も一拍置いてから市川の問いに答えていることから、本当はそうではないと理解しつつも、結論先行の市川に対して論を構えても仕方ないと踏んでの回答かもしれない。真面目に池田内閣の位置付け語ってもねぇ。

 さて、授業内容がわざわざ作中で言及されているということは、かの名作の「互いに素」を引くまでもなく、そこに何らかの意味があるはずである(そうでなければ、「で、あるからして~」のような表現に留めるか、数学や歴史のような睡眠導入科目が出てくると相場が決まっている*3)。考えられるのは2つ。所得倍増計画を通じて日本人の価値観、生活スタイルが一変したことを、ノクチルのメンバーの変化に準えたもの。経済発展はすなわち(浅倉が繰り返し述べている)「のぼっていく」こと、という連想で、発展とともに価値観・関係性が変わっていくことの比喩、また市川がその変化に少なくとも明確に肯定的というわけではないことの示唆。2つ目は、ノクチルというユニットよりはむしろ、市川個人に焦点を当てた解釈であり、発展していくことや成長していくことを、GNPや目に見える努力といった、単線的な物差しで測る価値観、市川のそれとは相容れない価値観を、彼女が一蹴していることを表しているという見方。これは、ともすればアイドルマスターが掲げてきた「努力による成長・変化」という物語に対するアンチテーゼとも取れる(確信が持てないのでこれ以上の言及は避ける)。個人的には後者の方が解釈としては面白いとは思う。ちなみに、浅倉がランナーとしてソフトボールをやっている理由はよくわからない。

 授業が終わり、市川は福丸に教科書を返しに行く(コイツは置き勉すらしないんだな?)。廊下でもダンスの復習をする福丸に対し、市川は「楽しい?」と率直な疑問を投げかける。福丸は「う、うん」と答え(表情からは本心で楽しいと思っているように見えるが、声色からは少し戸惑っているように感じた。恐らく福丸の心の中にも相反する思いが渦巻いているのだろう)、返す刀ですかさず、本番が近いのだから練習しなければ、と市川に注意するが、既に用件は済んだとも言いたげな市川は、はぐらかしてその場を後にする。一人残された福丸は、市川と浅倉を思い浮かべたうえで「雛菜ちゃんはそれでいいかもしれないけど……」と不安げに漏らす。ここの「それでいい」については、楽しいかどうかで物事を判断することでいい、というのと、必死に練習しなくてもいい、という2つの意味合いだろう。何れも福丸にはない価値観である。後半の「必死に練習しなくてもいい」とは、この段階において既にダンスのテストに合格し、少なくとも体力面での課題は市川と同列にあることから、二人の間にある差異の方向性としては、技量の面もあるだろうが、それよりはむしろ、練習量が少なくても不安を覚えないという精神的な側面が強いのかと思う(練習している間は不安が和らぐという福丸の発言が後半で出てくるというのもあり)。

 場面が変わり、樋口がランニングをしているシーン。「このくらい、余裕」という独り言は、福丸の口癖が移ったのか(アイドルを始める以前で彼女らがそういう発言をする局面はあまり思い浮かばない)、二人の精神性は、外に出す出さないは別としてこの観点では似通っているのか、というところだろう。ただ、福丸の「余裕(よゆー)」は、周囲に自分がいっぱいいっぱいであることを悟られないため(言うまでもなく、それによって悟られるのだが)である一方で、樋口の「余裕」は自らを奮い立たせるため、自分に対してのみ使っているように見受けられ、少なくともこの段階では、彼女らの用法は大きく異なる。「余裕」と言うとき、樋口が思い浮かべるのは浅倉であり、彼女への対抗意識(この論点は第5話で詳述する)もまた、樋口を奮い立たせている。福丸も同様に自主練習に励むが、その途中で幼少期の約束を、海に行くとしたところまで思い出すとともに、夜に一人、河原で練習している自分をふと客観的に見つめ、既に自分の生活が変わり始めていることを再認識し、少しの強迫観念を抱きつつも練習を続ける(ここのメトロノームが変わった音でなんか面白い)。この場面で市川が一瞬練習中の福丸を発見するがすぐに見失う。福丸のプロデュースイベントや、第5話での樋口との会話を踏まえると、練習していることが市川にバレないように隠れたのだろう。

 翌日、練習の甲斐もあってか、トレーナーからは各自のダンスに対して上々の評価を得、福丸の息も上がっていなかった。これをきちんと見ていたのか、樋口は福丸をこれまたシンプルに褒め、福丸は喜ぶ(素直でホンマにかわいい……)。他方ここで浅倉は「かっこいいじゃん、私たち」とメンバーに伝え、福丸は半ば信仰にも似た反応を返す。曰く、「透ちゃんがかっこいいって言ったら それはもう、かっこいい」と。また、浅倉の言う『私たち』の中に自分がいることに感動を覚えている。これはある意味、樋口にとっては皮肉である。樋口は誰よりも福丸のことを見ていて、何かができたときにはしっかり褒めてやり、辛そうなときには手を差し伸べている。しかし、浅倉ほどには言葉の力、福丸に対する影響力を持てていない。これは恐らく、樋口の性格にも起因しており、彼女の褒め方は、具体的な出来事に基づき、極力客観的な視点でなされる(これは生配信出演後の、樋口の福丸に対するフォローで顕著である)からである。これはもちろん、そうでなければ彼女が毛嫌いするあのミスター・好青年と同じで、根拠のない、上辺だけの言葉になってしまうと思っているためだ(じゃあ何で樋口はそういう言葉が嫌いなのか、という点については後編で考えてみたい)。対照的に、浅倉の言葉は正直言って何の根拠もない、感覚的なものであるが、だからこそ樋口と似通った精神性を持つ福丸に対しては響く。福丸の視点では、自分が(自分でも)やった・できたことや、考えてみてばわかることで褒められても、彼女の感動には至らない。この一幕で樋口がちょっとつまらなそうにしているのはその辺りを反映していると読むと面白い。浅倉の「かっこいい」発言を契機として、浅倉が3人に強い影響を与え、引っ張っていくという揺るぎない関係性が浮き彫りとなっていき、福丸が「置いて行かれないように走り出す」ことが決定的となる。

 第2話では、浅倉が他の3人に与える影響の強さと、福丸がアイドルとして活動することにどのような不安を抱いており、またそれを唯一解消できる浅倉に、彼女が如何に心酔しているか、「走り出す」動機たりうるかが語られる一方で、樋口が浅倉に対して抱いている屈託の片鱗が顔を覗かせている。

 

第3話: アンプラグド

 「アンプラグド」とは、Un-Plugged, すなわち電力を使用しない音楽演奏のことを指し、要するに生音での演奏を意味しているらしい。

 初仕事の収録のためスタジオに訪れたノクチルの4人とP。新鮮な光景に浅倉と市川ははしゃぐが、感じの悪いスタッフと廊下で鉢合わせ、邪魔だと言われた上に、彼女らが楽屋に挨拶に行っても邪険に扱われてしまう。

f:id:sangzhi_sibling:20200705200728p:plain

ドン引きする浅倉。しかしながら、この業界人のリアリティある描写である(とか言って、私は芸能界のことなんも知らんので、リアリティも何もないが)。「タイのロケ」の意味するところを彼女らは知らない……のだろうか?

余談だが、アンティーカがこの一幕で盛んに言及されており、283プロの対外的な顔は彼女らであることが伺える。ってか、このDが「アンティーカちゃん」って言うのクソウザくないっすか?「さん」を付けろよ。

 楽屋のやり取りのあとは、福丸の不安が高まっている描写が執拗に繰り返され、BGMも減っていくので、場面としての緊迫感が徐々に増していく。福丸は、浅倉の「かっこいいじゃん」を反芻するが、ここにおいては重荷に感じてしまっている。浅倉の「かっこいい『私たち』」であり続けなければならないことに対するプレッシャーでもあるだろう。当然、樋口がこの状況を見逃すはずがなく、福丸を気にかけてはいるが、先述の理由もあるのか、掛けるべき言葉が見つからないまま。そんな中、事前の約束とは異なり、口パクでのパフォーマンスとなることが制作陣からさも当然であるかのように伝えられ、しかも福丸が緊張で固くなっていることを指摘されてしまう(ここで樋口はマジでキレてる。俺にはわかる。こえ~~~)。落胆する福丸をよそに、ディレクターは浅倉中心で番組を回すことを指示する。楽屋に戻った福丸は自責の念に駆られ、樋口は初めから案件を握れていなかったのだとフォローするが、ショックを受けた福丸の心には届かない。この辺りから、本当に古典的な手法ながら、多くのプレイヤーは、「福丸! 頼むから無事に収録を終えてくれ!!」という心情に上手いこと誘導されてしまっている。

 番組が始まり、ディレクターの指示通り、浅倉を中心に番組が回っていく。浅倉個人の話に終始するなか、メンバー紹介を切り出そうとした浅倉を、MCは「浅倉クンとそのお友達」という表現で遮る。これを聞いた浅倉は露骨に嫌悪感を見せるが、「友達の絆、見せてもらいましょー」と茶化され、口パクライブのために一旦舞台袖に掃ける。舞台袖、「友達の絆」を見せるのは、「いつも通り」にやればいいことであり、簡単だと言い放つ浅倉。浅倉の企てに真っ先にピンと来たのは樋口であり、次に市川が浅倉の意図を理解する。最後まで腑に落ちていない福丸に対し、浅倉は「練習してきたのは口パクではない」「頼んだ」といつも通りの口調で告げる。その後の顛末は市川のモノローグで語られる。浅倉は曲を歌わず、樋口は笑顔を一切見せず(市川はなんか適当にやってたのか?)、自然、カメラは一番真っ当にパフォーマンスを見せる福丸に集中する、これが私たちのいつも通り、という結末。「———雛菜、透先輩すきだな~……」という台詞で第3話が終わる。ここで浅倉が外面としては穏やかでありながら怒りを覚え、仕返しを試みるに至ったのは、浅倉が自分個人ではなく、ノクチルの大切な4人としてここにいることを重んじていることの表れだと思う。

 第3話は、爽快感とノクチルらしさに溢れている、『天塵』の核となる回である。タイトルの「アンプラグド」はまさに、彼女たちの生音、ありのままを見せつけること。追い詰められていた福丸がそれでも練習の成果を存分に発揮し、それこそが彼女ら全員が思う「いつも通り」であることに、しつこく不安を煽ってきた第3話の演出と、コミュを通して長らく(福丸を気に掛け続ける)樋口の視点を使ってきた効果も相俟って、安堵と喜びに満ちた読後感が訪れる。何より爽快なのは、ノクチルが「対等に」制作陣と戦ったという事実である。本物のライブをし、台本通りのトークをするという「約束」を反故にした制作陣(ライブ用の準備をしていないのだから当然故意であり、台本が事前に渡されているのだから、トークの内容も初めから引っ繰り返すつもりでいたのだろう)に対しては、彼らの「お約束」を守ってやる義理はなく、「友達の絆」を見せろと言われたので、お望み通りにお前らに見せてやったという、正々堂々、真正面から戦った結果がそこにある。当然、アイドルなのだから番組の意図に従うべき、有り体に言えば、仕事を貰っているのだから発注元の言うとおりにしろ、というのがいわゆる常識だ。しかし、そんなものは、「自分がどう思うか」を失った、下らんサラリーマンの(芸能人は自営業的だから「大人の」か)世界での常識でしかなく、お互いが対等な立場だったらこうなるぜ? と知らしめたということだ。これは、詳細は省くが、283プロの他のユニットとは一線を画す戦い方であろう。特に、アイドルの偶像性(進次郎構文)を徹底的に内面化し、仮面 ――彼女らの語彙で言えば「迷光」—— を纏って不条理との戦いの場に臨むストレイライトとは好対照と言える*4。良くも悪くも、283プロのユニットは、不条理に対して自分たちのできること、納得の行く道を探していこう、という解決策を取るという、言葉を選ばなければ「聞き分けのよい」傾向にあったが、ここに来て「いや、そもそもおかしくないか?」と一石を投じ、完璧なまでに敗れ去っていく姿勢は、ありきたりな言い方だが、アイドルというよりもバンド的な色彩が強いユニットとの位置付けなのだろう。自分たちのありのままを見せつけ、みんなの車で旅行に出かけて、曲もバンドサウンドThe Smiths からタイトルを拝借し、メンバーも、一見相性が良くなさそうなエッジの立った4人、と要素に事欠かない。

 最後の台詞である「———雛菜、透先輩すきだな~……」からは、市川が本気で浅倉のことが好きで、しかもその「すき」の対象は、不特定多数が注目する彼女の外見ではなく、幼馴染のため、為すべきときに事を為し、皆を導くことのできる浅倉の内面にあることが分かる。恐らく、浅倉は市川の想いの強さには気付いていない一方で、彼女が自分の内面を見て傍にいてくれていることをそれとなく感じており、だからこそ市川と共にいることに心地よさを覚えているのだろう。浅倉さんは今後、市川さんのこの期待に応えていかないといけないという意味で、これは結構大変なことですよ。

 

第4話: 視界2

 生配信の騒動を経て、ノクチルはインターネット上で批判を浴びるとともに、仕事を失っていた。夏休み、補講を控えた浅倉と樋口は、283プロの屋上で暇を潰す。何気ない会話の中で、浅倉の樋口に対する揺るぎない信頼や、樋口と共にあることを当たり前として受け止めていることが伺えるのが巧み。ここで樋口は浅倉に何かを訊ねようとするが、聞けず仕舞いに終わる。恐らくその内容は、ダンス練習の際に聞けなかった、浅倉がアイドルになろうとした理由だろうが、樋口がそれを口に出すことはなかった(この後、浅倉と一緒に補講を受けることを想像したのだろう)。樋口は再び、「騙されている」「どこに行くんだろう 私たち」という問いを発するが、アイドルとしての行先を失った今、最初の問いよりも、無力感を帯びたものになっているように聞こえた。1年生組は個別で練習するが、特に目標がない今、市川は身が入らず(「なんのためでもない練習になった!」という市川の台詞は結構好き。絶妙な力の抜け具合と、練習には明確な目的があるべきという彼女の合理性が伺える)、福丸は仕事がないからこそ練習をしなくてはと主張する。市川は軽い同意を返すのみ。ただ、その同意を受けて福丸は笑顔を見せる。これはこの直後、第5話の冒頭で福丸により回想されるシーンとなる。またこの会話は、第2話の学校での会話とは異なり、市川が(福丸目線では)練習の重要性に同意してくれたことによるものと推察され、福丸としては市川の転換という位置付けになる。

 さて、仕事を失ったノクチルのため、Pは仕事探しに奔走するが、生配信の件を知っている業界人からは悉く断られてしまう。その中で、騒動のことは弁解の余地もないとしつつも、あの本番に輝きを認め、その輝きをどう表現すればいいのかと逡巡する。

 自主練を続ける福丸は、偶然同じくランニング中だった樋口と会う(樋口はあくまでも練習ではなく気分転換だと言い張る)。二人きりであの本番を振り返る中、福丸は、余裕を持てていなかったと正直に樋口に告げ、その福丸の変化を察した樋口は(ここで風が吹く効果音が入るのが明示的)、福丸と話し込むことにする。樋口は、要領の良さに甘えて誤魔化しを入れるような浅倉がカメラに映らなかったことは問題ではなく、むしろ一番「仕事」をしていた福丸がカメラに映ってくれてよかったと伝える。それでも頑として樋口の言葉に納得しない福丸に対して、福丸が一人で一生懸命練習を続けていることを知っていたと告げ、同時にその事実は知られたくなかっただろうとして謝罪の意を述べた。これは期せずして、福丸のプロデュースイベントにおけるPの彼女に対する関わり方と、全く同じであることは注目に値する。第1話の市川と浅倉の会話に続き、2回目の泡の音がここで流れ、核心に迫るシークエンスであることが示唆される。福丸は、みんなと一緒にいたいが故に努力を重ねたと言い、「海に行く約束」を回想する。対して樋口は、仮に努力を重ねなかったとしても、4人は一緒に居られるから心配しなくていいと(福丸もまた、浅倉と同様にどこかへ行きたいと願っていることを知り、半ば自分の願望交じりに)返すが、福丸は浅倉のダンスをまたも思い出し、みんなはすごいから(そうはいかない)と譲らない(ここで「みんな」と言いつつも回想カットで入るのが浅倉だけというのが、福丸にとって、幼馴染の中で浅倉が最も先を行く存在であるということを示唆していると思われる)。福丸の固い意志を感じた樋口は、福丸の吐露に呼応するかのように、自分も心配なのかもしれないと、(それは主に浅倉に対して向けられたものではあるが)珍しく本音を語る。樋口の不安を初めて知った福丸は、練習している間は不安を忘れられるからと、一緒に練習することを持ち掛け(これが福丸なりの優しさである。飴と同じで、自分がされて嬉しいことを、そのまま惜しげもなく他者にも与えようとするのである。最高か?)、樋口はそれに同意し、二人でストレッチを始める。お互いの胸中を明かした、ここの二人の穏やかな笑みが素晴らしい。第4話のラスト、樋口は三度「どこへいくんだろう ねぇ、透――」と問いかける。

f:id:sangzhi_sibling:20200725220032p:plain

台詞がないために一瞬しか映らない、最高のカット。

お互いの気持ちを伝えることって……大事なんやな……

 第4話では、お互いの不安をお互いに開示しながらも、その軸には浅倉がおり、4人の関係性が変わっていくことに不安を覚える樋口と、自分が置いて行かれてしまうことに不安を覚える福丸との間で、交差する部分、そうでない部分を明らかにした。核心を伝え互いを理解しつつも、本質的な部分での相違が際立つ。先取りになるが、第5話でも、浅倉と市川との間で同様の構図が描かれる。

 

第5話: 視界3

 相変わらず仕事のないノクチルの練習シーン。市川が練習を早々に切り上げ帰ろうとするのを見て、第4話で市川が練習の重要性を肯定したはずだと思っていた福丸は少し面食らうが、樋口が人知れず練習していたことと、浅倉も歌詞を間違えるように決して完璧ではないことを、樋口との会話で知った福丸は、市川にも自分なりの時間の使い方があるのだろうと悟ったのか、追及はしないという変化を見せる(当然、市川はこの後練習するわけではない。ここの解釈ちょっと間違ってるかも)。ここで、樋口は二人の間のミスコミュニケーションに勘付いたのか、溜息を漏らす。

 場面は変わり浅倉の家。練習を切り上げた市川は、浅倉の家で彼女の帰りを待っていた。市川は爪を塗ると言い浅倉の退路を塞いだ後、何故アイドルをやることにしたのか、核心を浅倉に問う。ここで浅倉はPにスカウトされたときのことを回想するが、明確な回答を避けるも、浅倉の変化に勘付いている市川は、Pの存在に切り込み、浅倉はそれを認めた。恐らくノクチルのメンバーにこのことを明示的に伝えたのがこれは初めてと思われる(ここでの浅倉の心の動きが読めないのがもどかしい。隠そうとしたのか、そもそも隠すようなこととは思っていないのか等々。恐らくここは敢えて見せないように描いているのだろうし、市川も、Pが関係していることは確認できて事足れりとしたのか、これ以上の追及は行わなかった)。その後、浅倉はインターネット上で自分たちが、先の生配信の件を受けて「覚悟がない」「アイドルをなめている」と批判されていることに言及するが、市川は、自分は自分のことしかわからない、アイドルの決まりなど知らないと、強固な価値観を覗かせる。そして浅倉は「アイドルがいる人」には、「アイドルの決まり」があるのだろう、と述べる。ここの「いる」には、「居る」という意味で「既に『アイドル』としての固定観念を既に自分の中に持っている人」と、「要る」という意味で「自分の思い描いた通りの『アイドル』を必要とする人」のことが含まれているのだろう(浅倉がそこまで考えて発言したかは相変わらず不明だが)。

 一方、Pはノクチルの仕事を取るために依然営業回りをしていたが、相変わらず芳しくない。尚、ここで浅倉単独の仕事を断り、ユニットとしての仕事を取りに行くPの姿勢から、彼女らをユニットとして世に出すことへのこだわり、彼女らの心境と関係性への配慮が見て取れる。営業を掛ける過程で業界の人間がPに向ける言葉も、詳細には拾わないがほぼ全て正論である。音楽番組ディレクターは、生配信の件を踏まえ「売り物」としての安全性が求められると、Pの懇願を突っぱねる(このディレクターの発言では、「『みせる』技術と『見られる』覚悟」という部分にも注目。アイドルは「見せ」るだけではなく、「魅せ」なければならない、という価値観のこであろうし、前出の浅倉の掛詞「いる」に対応している)。帰り道、Pは樋口の「売り物」発言を反芻し、彼女らを「売る」ことと、彼女らが彼女らであることの狭間で揺れ動く。市川と浅倉の会話と、Pの奔走が入れ違いに挿入され、業界と彼女らの価値観の乖離、仕事探しに骨を折るPに対して、仕事がないこと自体はあまり気にしていないように見える二人の対比が浮き彫りになる。

 自主練を終えた樋口は、浅倉の家を訪れる。ここでは恐らく、補講の前にしそびれた、アイドルの志望理由を浅倉に訊ねることを目的にしていたのだろう。しかし上述の通り、既に手練手管に長けた市川がその件に触れている。更に、騒ぐ二人の声が階下まで聞こえてきたため、樋口はそういった深刻な話をするタイミングではないと判断し、すぐに浅倉家を後にする。

f:id:sangzhi_sibling:20200725234200p:plain

市川と騒ぐ浅倉。もっとオタクをバカにしてくれ~

 去り際、市川はアイドルは楽しいかと訊く。浅倉は特段様子を変えることもなく楽しいと返し、市川は自分も楽しいので「おそろい」だと笑みを浮かべる。しかしながら、浅倉は、プロデュースイベントで語られている、Pとの再会を通じて思い出した「のぼっていく」感覚による楽しさのためにアイドルとしての活動に励んでいる一方で、市川は浅倉と共にあること自体を楽しさととらえており、その「楽しさ」には明確な定義の違いが横たわる(聡明な市川はそのことに当然気付いているのだろう)。傍論となるが、インターネットで自分たちの批判が展開されていることについて、浅倉はその事実自体を自分の眼では確認していないような口ぶりであった一方、市川は何が書かれているかある程度把握したうえで、論ずるに値しないと切り捨てている、というスタンスの違いもあるだろう。

 

第6話: 海

 冒頭からパンチが効いている。練習後、他の2人に対してと同様に、アイドルは楽しいかと樋口に訊ねる市川に対し、樋口は「……それは雛菜の観点でしょ」とすかさず返す。この樋口のカウンターが非常に鮮やか。この発言は「雛菜は雛菜のことしかわからない」とする市川の価値観に対する意趣返しである。この現状を楽しいと感じるか、そもそも楽しいかどうかを判断基準にするかはこちらの価値観の問題であり、市川の言うように個々人の価値観には立ち入らないという立場を取るのであれば、その質問に答える必要はない、という意図があり、樋口が如何に市川の価値観を理解しているかが伺える。尚、第6話後半ではこの逆パターンも見られるので、本当にこの二人は仲がいいと思う。練習室に戻った福丸は、市川も残って練習するか尋ねるが、市川はいつも通り帰ると返す。しかし、第4話の会話も踏まえ恐らく市川もこの後どこかで練習するだろうと思っている福丸は、市川に飴を渡す(塩分付きということで、割と明確に次の練習を意識したものだと推察される)。

 普段のように練習が終わった後、Pは1つ仕事が決まりそうだと4人に告げる。決して華やかな仕事ではないが、4人の意思を確認したい、求めるものでなければ、必ず別の仕事を取ってくるとまで言う(このPの思い切った発言の後に、樋口がPの本気を感じ取ったような吐息を漏らすのがGood. ってか樋口は今回息の演技がかなり多いんだけど、ちゃんと大袈裟になりすぎない範囲で意図を伝えてくれるので声優さん天才か?ってなってる)。今後アイドルとしての活動を続けるにあたり、理由が必要になってくるであろうなかで、4人としての考えを出してほしいと伝え、その場を後にする。ここでイベコミュ名物一択の選択肢=撞着語法が現れる。毎回重要な局面ですわ。

 この仕事を受けるかどうか、4人の先陣を切るのが市川。彼女にとっては4人でなにか楽しそうなことをするのが目的であり、仕事の規模とか、誰が見ているかとかは判断基準に入っていないからこそ為せることであろう。ここで樋口はこの仕事の意味を問う。当然、樋口は意味や理由がなければ動けない人間だからだ(この点は後編で掘り下げたい)。第4話の「私も不安なのかも」が反芻されているのは、かつての自分たちに戻れるのであれば、樋口はここでアイドルをやめても構わないとすら思っているからだと私は受け取った。これを受けて市川が、では樋口以外の3人で行くことになるのかと反撃に出る。これも樋口の価値観をよく理解したうえでの対応だろう。

 

 

 

*1:尚、この回想で樋口が述べる「幼馴染」は福丸のことを指しているとも読めるが、元となる樋口のプロデュースコミュでは、Pがその直後に「浅倉さんと一緒に(アイドルにならないか)」という勧誘の仕方をしているため、樋口より先にアイドルになったのは浅倉のみであって、少なくとも回想する出来事が起きた時点で樋口が念頭に置いている「幼馴染」は浅倉のみと考えられる。これは、後述するがノクチルを4人のユニットとして世に出したいと思っているPであれば、また浅倉がノクチルというユニットに対して抱いている感情を少なからず理解しているPであれば、浅倉以外のメンバーが既に加入していた場合、「みなさんと」、あるいは少なくとも「浅倉さん『たち』と一緒に」という表現にするはずだからだ

*2:他のユニットと比較しても、ノクチルの初仕事は明らかに規模が大きい。283プロが世間的・業界的に認知されてきたという実務的な側面もあろうが、ノクチルにとっては、小さな成功を重ねて自己肯定感を養ったり、ユニットとしての一体感を醸成したりするよりも、センスと環境に恵まれてきた彼女たちに「成長」のチャンスを与えたいという動機もあったと推測する

*3:決まってない

*4:「アイドルが戦うってのがどういう事か、見せてやる」という黛冬優子の台詞に完璧に集約されている